ブブ

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ブブ(BUBU)は、大手スーパーのダイエーが1970年に発売したプライベートブランド(PB)の13型カラーテレビ、およびその周辺家電シリーズの名称である[1]。

日本の流通業界における「価格決定権」を巡る、ダイエー創業者中内㓛と松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)会長松下幸之助との対立(いわゆるダイエー・松下戦争)の中で投入された象徴的な製品として知られる[2]。

背景

1960年代後半、日本の家電市場はナショナル(松下電器)や三菱電機などの大手家電メーカーが小売価格(メーカー希望小売価格)をコントロールし、独自の系列電器店網を通じて定価販売を維持していた[2]。これに対し、「良い品をどんどん安く消費者に提供する」を信念とするダイエーの中内㓛は、メーカーによる価格統制に強く反発し、大幅な値引き販売を敢行した[2]。

対立が先鋭化した結果、松下電器はダイエーへの商品供給を全面的に停止する措置をとった[1]。これに対抗し、ダイエー側が自社で価格を自由に設定して販売できる製品として独自に企画開発したのが、PBテレビ「ブブ」であった[1][2]。

特徴と販売

1970年、13型カラーテレビ「ブブ」が発売された[1]。当時、大手メーカー製のカラーテレビは1台あたり約10万円が標準的な価格であったのに対し、「ブブ」は5万9800円という当時の半値近い破格の安さで売り出された[1][3]。

ダイエーは自社ブランドを冠していたものの、当時のダイエーにはテレビの自社生産設備がなかったため、製造は中堅家電・音響機器メーカーのクラウンに委託された(OEM・ODM形式)[1]。

発売当時、兵庫県神戸市のダイエー三宮店では510台の販売枠に対して購入希望者が殺到し、抽選販売が行われるほど大きな話題を呼んだ[1]。

影響とその後

「ブブ」の登場は市場に大きな衝撃を与え、消費者の支持を背景にダイエー優位の状況を作り出した[3]。これにより松下幸之助は苦境に立たされ、最終的に値引き販売を一部容認する決断を迫られるなど、メーカー主導の価格統制(再販売価格維持行為)に一石を投じる結果となった[3]。

ダイエーはテレビの成功を受け、その後「ブブ」のブランド名で洗濯機や電卓などの家電製品も展開した[1]。しかし、当時の消費者の間には依然として大手メーカーに対する信頼(メーカー信仰)が根強く、クラウンが製造したテレビのその後の売れ行きは厳しいものとなった[1](なお、後に三菱電機が生産を請け負ったブブブランドの扇風機は数十万台の大ヒットを記録している)[1]。

この「ブブ」の投入に代表される流通側とメーカー側の激しい主導権争いは、後に日本の小売業におけるプライベートブランドの先駆的事例として、経済学やマーケティングの観点から高く評価されている。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “強かったメーカー信仰 進化するPB商品(1)”. 日本経済新聞 (2016年8月30日). 2026年10月10日閲覧。
  2. 1 2 3 4 “ダイエー・松下戦争”. Wikipedia. 2026年10月10日閲覧。
  3. 1 2 3 “繁栄による幸福を説く経営者 松下幸之助(後編) 第4話”. 進和建設工業 (2026年6月1日). 2026年10月10日閲覧。

関連項目