ヘンリー・ウォリス
ヘンリー・ウォリス | |
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| Henry Wallis | |
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時期不明のヘンリー・ウォリス | |
| 生誕 |
1830年2月21日 イギリス、ロンドン |
| 死没 |
1916年12月21日(86歳没) イギリス、クロイドン |

ヘンリー・ウォリス(Henry Wallis RWS、1830年2月21日 - 1916年12月20日)は、イギリスの画家、陶磁器の歴史に関する著作家、美術品収集家である。ラファエル前派のスタイルで描かれた1856年の絵画『チャタートンの死』で最もよく知られている。
略歴
ロンドンでメアリー・アン・トーマスというの女性の父親不明の非嫡出子として生まれた。1845年に母親が裕福なロンドンの建築家アンドリュー・ウォリスと結婚して、ウォリスという姓を名乗った。1848年から1853年の間、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校で学んだ後、 1849年から1853年の間パリ国立高等美術学校でシャルル・グレールに学んだ。1853年に展覧会に初めて作品を出展した。1856年に、生活に窮して17歳で砒素自殺したイギリスの詩人トーマス・チャタートンを描いた作品『チャタートンの死(The Death of Chatterton)』をロイヤル・アカデミーの夏季展に出展し、有名になり、批評家のジョン・ラスキンにも賞賛された。テート・ブリテンに所蔵された作品の他、別ヴァージョンはバーミンガム美術館などに所蔵された[1]。1857年には写実主義の影響を受け『石割人夫(The Stonebreaker)』を描いた[2]。
『チャタートンの死』では作家のジョージ・メレディス(1828-1909)がモデルを務めたが、ウォリスは1858年にメレディスの妻メアリーと駆け落ちし、その年メアリーはウォリスの子供を産んだ。この体験をもとにメレディスは1859年に『リチャード・フェヴェレルの試練』を書いて小説家として成功した。
1859年に継父が亡くなり、かなりの遺産を相続すると、エジプト、ペルシャに旅し、それらの地方の陶磁器に関心を持ち、研究するようになり画家としての活動は低調になった。1890年代からペルシャやエジプト、ギリシャ、ビザンツの陶器や初期イタリア・ルネサンス期のマヨリカ焼きの研究書を多く出版した。
1878年には王立水彩画協会(Royal Watercolour Society)の会員に選ばれた。
作品
- 『石割人夫』(1857)
Birmingham Museums Trust - 『シェイクスピアと詩人スペンサー』(1864)
- ウォリス作とされるシチリアのタオルミーナの風景を描いた水彩画
- 1903年出版の著書の図版
脚注
- ↑ “Birmingham Museum and Art Gallery page”. 2022年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月15日閲覧。
- ↑ Robin Hamlin: Henry Wallis, in: Oxford Dictionary of National Biography, vol. 57, London 2004, S. 14.
- ↑ “Highgate Cemetery”. Burial Grounds. 2025年8月2日閲覧。
参考文献
- Hamlin, Robin: Henry Wallis, in: Oxford Dictionary of National Biography, vol. 57, London 2004, pp. 13–14.
van de Put, A., Henry Wallis, 1830–1916, Faenza, v (1917), pp. 33–8.
- Ramm, John, "The Forgotten Pre-Raphaelite", Antique Dealer & Collectors Guide, March/April 2003, Vol 56, 8 & 9.
- Treuherz, J. Hard Times: Social Realism in Victorian Art (London, 1987), pp. 36–39.
- Literary treatment in Peter Ackroyd's novel, Chatterton, first published in 1987.