ポール・コフィー
| ポール・コフィー | |
|---|---|
|
ピッツバーグ・ペンギンズ時代(1989年) | |
| 本名 | ポール・パトリック・コフィー |
| 原語名 | Paul Patrick Coffey |
| 生誕 |
1961年6月1日(65歳) ウェストン |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 200 lb (91 kg; 14 st 4 lb) |
| ポジション | ディフェンス |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム |
エドモントン・オイラーズ ピッツバーグ・ペンギンズ ロサンゼルス・キングス デトロイト・レッドウィングス ハートフォード・ホエーラーズ フィラデルフィア・フライヤーズ シカゴ・ブラックホークス カロライナ・ハリケーンズ ボストン・ブルーインズ |
| 代表 |
|
| NHLドラフト |
1巡目 / 全体6位(1980年) エドモントン・オイラーズ |
| プロ選手期間 | 1980年 – 2001年 |
| 2004年殿堂入り | |

ポール・コフィー(英語: Paul Coffey, 1961年6月1日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ウェストン生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはディフェンス。
NHLにおけるポジションはディフェンスであるが、生涯1,531ポイントを上げたことからもわかるように攻撃能力にも優れていた。速く滑らかなスケーティング、正確なパスのスキルと攻撃参加で、強力なオフェンシブ・ディフェンスマンとして活躍した。
経歴
1980年のNHLドラフト1巡目 (全体6位) でエドモントン・オイラーズから指名され、入団。2年目には早くもリーグ有数のトップディフェンスマンとして頭角を現し、29ゴール、89ポイントを記録した。
最初の7年間は、NHLにおけるいわゆる「エドモントン王朝」時代に当たり、コフィー自身も1984年、1985年、1987年と3度のスタンレー・カップ優勝を経験した。堅実な守備型ディフェンスマンであるチャーリー・ハディとのコンビでオフェンスの才能を開花させ、1985年には18試合で12ゴール、25アシスト、37ポイントを記録し、NHLディフェンスマンのプレーオフ記録を樹立した。
1985-1986シーズンは、コフィーのベストシーズンで、年間138ポイント(48ゴール、90アシスト)を上げ、この記録は1970-1971シーズンにボビー・オアが達成したNHLディフェンス年間獲得ポイント数139の最多記録(2005年時点)に次ぐ。また、ゴール数の48はNHLディフェンスゴール数としては歴代最多(2026年時点)を誇る(第2位はオアの46)。3月にはデトロイト・レッドウィングス戦で2ゴール、6アシスト、計8ポイントを記録して、NHLのディフェンスマンによる1試合最多ポイント記録に並んだ。また、28試合連続で少なくとも1ポイントを挙げ、ディフェンスマンのNHL記録を樹立した。
1987年11月24日、年俸条件を巡るトラブルからピッツバーグ・ペンギンズにトレードで移籍し、マリオ・ルミューとチームメイトになった。コフィーはそのフランチャイズの立て直しに加わり、1988-89シーズンからはオルタネイト・キャプテンとしてチームを牽引し、1991年のスタンレーカップ初優勝に大きく貢献した。1991年10月17日のニューヨーク・アイランダース戦で、デニス・ポトヴァンが保持していたディフェンスマンとしての通算アシスト数 (742) とポイント数 (1,052) の記録を更新し、チームが2度目のカップを獲得する直前の1992年2月19日、ピッツバーグからロサンゼルス・キングスへ移籍した。
1991-1992シーズン途中から翌シーズン途中まではキングスで計60試合に出場し、ここではオイラーズ時代のチームメイトであるウェイン・グレツキーやヤリ・クリとプレーしたが、チームが初のスタンレーカップ決勝に進む直前の1993年1月29日、1992-1993シーズン途中でデトロイト・レッドウィングスに移籍した。ここでは1993-94シーズンからチームのオルタネイト・キャプテンを務め、3度のディビジョン優勝に導いた。
さらに、その経験とリーダーシップを生かすべくチームを渡り歩き、1996年10月9日、デトロイトからハートフォード・ホエーラーズへ移籍し、1996-1997シーズンをホエーラーズで20試合をプレイすると、12月15日にフィラデルフィア・フライヤーズへ移籍し、ベテランの1人として若く勢いのあるチームのカップ決勝進出を支えた。その後も、1998年6月27日にシカゴ・ブラックホークス、同年12月29日に移転間もないカロライナ・ハリケーンズに移籍し、ここまではすべてトレードによるものだったが、最後はフリーエージェントとして2000年7月13日にボストン・ブルーインズと契約し、12月15日までプレーした。
40歳の誕生日を目前に控えた2001年に現役を引退した。通算で396ゴール、1135アシスト、1,531ポイントの記録を残し、3部門すべてにおいて、ディフェンス選手としてはレイ・ボークに次ぐ歴代第2位、NHL史上10位のポイントリーダーとして引退した。1985年、1986年、1995年と年間最優秀ディフェンス選手に贈られるジェームス・ノリス記念賞を受賞している。シーズン40ゴール以上を記録したNHLのディフェンスマンは、コフィーとボビー・オアの2人だけであり、複数回達成したのはコフィーのみである。
引退後は、オンタリオ州ボルトンで日系自動車販売会社のオーナーを務めながら、指導者としても活躍している。
2004年にホッケーの殿堂入りを果たし、2005年10月18日には、オイラーズがコフィーの背番号「7」を永久欠番に指定した。
2004-05シーズンに、アリゾナ・コヨーテズのコンサルタントに就任し1シーズン務め、その後ジュニアチームのヘッドコーチを務めた。
2017年には、100人の偉大なNHL選手の1人に選出された。
2017-18シーズンからオイラーズに復帰し、チームのスキルコーチ、シニアアドバイザーを経て、2023-24シーズン途中から、アシスタントコーチに任命された。
国際大会
1984年、1987年、1991年のカナダカップと1996年のワールドカップでカナダ代表を務め、内3大会ではディフェンスマンの中で最多ポイントを獲得し、カナダのメダル獲得に攻撃面で貢献した。
特に1984年のカナダカップ準決勝におけるソビエト連邦戦での延長ピリオドで、ソ連に「2対1」の数的優位を作られた際、唯一カナダ陣地に戻っていたコフィーは、膝をつきながらスライディングし、自陣ゾーン内でパスをインターセプトし、直後の攻撃ではパックをソビエト陣内へと運んでスラップショットを放ち、マイク・ボッシーの決勝ゴールをアシストした。このプレーは、キャリア最高のプレーの1つとして語り継がれることとなり、全8試合で2位タイとなる11ポイントを記録した。
1990年の世界選手権代表にも選出された。
プレーと評価
ポール・コフィーの代名詞とも言える優れたスケーティング能力は、小さいブーツの方が氷上での感触とコントロールが向上するという理由で、サイズ8の足をサイズ6のスケート靴に無理やり入れた状態で発揮された。二、三歩で最高速度に達し、何の苦もなく氷上を駆け上がり、猛烈なスピードで相手を追い越し、リンク中央にいる味方を見つけては、スティックのブレードテープにピタリと合うパスを出すか、もしくはフォワードのようにゴール前での攻撃で締めくくった。たとえ相手がグレツキー、クリ、マーク・メシエといったエリートフォワードを抑え込めても、コフィーがパックを持って右側を駆け上がると、止められない存在であった。
当時のオイラーズの主力の中で最初にチームを去ったスター選手としてペンギンズに移籍したことは、大きな挑戦でもあった。グレツキーの次はルミューと共にプレーするチャンスを得たが、チームはまだ勝ち方を分かっていなかった。ここでコフィーは粘り強くこの課題に取り組むようになり、フロントオフィスは選手を補強し、共に勝てるチーム作り上げた。この成功の意義は大きく、以降もスタンレーカップを制していたチームから、たいていは適切な人材が揃っていたが、一流の地位にどうやって到達すればいいのか分かっていなかった最下位のチームに移り続け、自らの経験とノウハウを生かしながら、それぞれのチームの強化に関わり続けた。このことは数字に表れないキャリア後期における貢献として評価されている。
詳細情報
NHL通算成績
太字斜体はリーグディフェンスマン記録
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1980–1981 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 74 | 9 | 23 | 32 | 130 | 9 | 4 | 3 | 7 | 22 | ||
| 1981–1982 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 80 | 29 | 60 | 89 | 106 | 5 | 1 | 1 | 2 | 6 | ||
| 1982–1983 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 80 | 29 | 67 | 96 | 87 | 16 | 7 | 7 | 14 | 14 | ||
| 1983–1984 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 80 | 40 | 86 | 126 | 104 | 19 | 8 | 14 | 22 | 21 | ||
| 1984–1985 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 80 | 37 | 84 | 121 | 97 | 18 | 12 | 25 | 37 | 44 | ||
| 1985–1986 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 79 | 48 | 90 | 138 | 120 | 10 | 1 | 9 | 10 | 30 | ||
| 1986–1987 | エドモントン・オイラーズ | NHL | 59 | 17 | 50 | 67 | 49 | 17 | 3 | 8 | 11 | 30 | ||
| 1987–1988 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 46 | 15 | 52 | 67 | 93 | - | - | - | - | - | ||
| 1988–1989 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 75 | 30 | 83 | 113 | 195 | 11 | 2 | 13 | 15 | 31 | ||
| 1989–1990 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 80 | 29 | 74 | 103 | 95 | - | - | - | - | - | ||
| 1990–1991 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 76 | 24 | 69 | 93 | 128 | 12 | 2 | 9 | 11 | 6 | ||
| 1991–1992 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 54 | 10 | 54 | 64 | 62 | - | - | - | - | - | ||
| 1991-1992 | ロサンゼルス・キングス | NHL | 10 | 1 | 4 | 5 | 25 | 6 | 4 | 3 | 7 | 2 | ||
| 1992–1993 | ロサンゼルス・キングス | NHL | 50 | 8 | 49 | 57 | 50 | - | - | - | - | - | ||
| 1992-1993 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 30 | 4 | 26 | 30 | 27 | 7 | 2 | 9 | 11 | 2 | ||
| 1993–1994 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 80 | 14 | 63 | 77 | 106 | 7 | 1 | 6 | 7 | 8 | ||
| 1994–1995 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 45 | 14 | 44 | 58 | 72 | 18 | 6 | 12 | 18 | 10 | ||
| 1995–1996 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 76 | 14 | 60 | 74 | 90 | 17 | 5 | 9 | 14 | 30 | ||
| 1996–1997 | ハートフォード・ホエーラーズ | NHL | 20 | 3 | 5 | 8 | 18 | - | - | - | - | - | ||
| 1996-1997 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 37 | 6 | 20 | 26 | 20 | 17 | 1 | 8 | 9 | 6 | ||
| 1997–1998 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 57 | 2 | 27 | 29 | 30 | - | - | - | - | - | ||
| 1998–1999 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 10 | 0 | 4 | 4 | 0 | - | - | - | - | - | ||
| 1998-1999 | カロライナ・ハリケーンズ | NHL | 44 | 2 | 8 | 10 | 28 | 5 | 0 | 1 | 1 | 2 | ||
| 1999–2000 | カロライナ・ハリケーンズ | NHL | 69 | 11 | 29 | 40 | 40 | - | - | - | - | - | ||
| 2000–2001 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 18 | 0 | 4 | 4 | 30 | - | - | - | - | - | ||
| NHL 合計 | 1409 | 396 | 1135 | 1531 | 1802 | 194 | 59 | 137 | 196 | 264 | ||||
国際大会
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| アイスホッケー | ||
| カナダカップ | ||
| 優勝 | 1984 カナダ | |
| 優勝 | 1987 カナダ | |
| 優勝 | 1991 カナダ | |
| ワールドカップ | ||
| 準優勝 | 1996 カナダ | |
| 年度 | チーム | 大会 | 試合 | G | A | Pts | PIM | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | カナダ | カナダカップ | 8 | 3 | 8 | 11 | 4 | |
| 1987 | カナダ | カナダカップ | 9 | 2 | 4 | 6 | 0 | |
| 1990 | カナダ | 世界選手権 | 10 | 1 | 6 | 7 | 10 | |
| 1991 | カナダ | カナダカップ | 8 | 1 | 6 | 7 | 8 | |
| 1996 | カナダ | ワールドカップ | 8 | 0 | 7 | 7 | 12 | |
| シニア 合計 | 43 | 7 | 31 | 38 | 34 | |||
表彰
- OHA(オンタリオホッケー協会)オールスター第2チーム選抜(1980年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:4回(1985年、1986年、1989年、1995年)
- 2ndチーム:4回(1982年、1983年、1984年、1990年)
- カナダカップ・オールスターチーム(1984年)
- ジェームス・ノリス記念賞(1985年、1986年、1995年)
- スタンレー・カップ優勝(1984年、1985年、1987年、 1991年)
- ホッケーの殿堂(2004年)
- カナダのスポーツ殿堂:2015年
- 最高のNHLプレーヤー100人:2017年
記録
- NHLオールスターゲーム出場(1982年、1983年、1984年、1985年、1986年、1988年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年、1994年、1996年、1997年)
背番号
- 7(2005年10月18日 エドモントン・オイラーズの永久欠番)
- 77(ピッツバーグ・ペンギンズ、ロサンゼルス・キングス、デトロイト・レッドウィングス、ハートフォード・ホエーラーズ、フィラデルフィア・フライヤーズ、シカゴ・ブラックホークス、カロライナ・ハリケーンズ)
- 74(ボストン・ブルーインズ)
外部リンク
- ポール・コフィー - Legends of Hockey
- hockey-fans.com
- John Mackinnon (2017年1月2日). “Paul Coffey: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月14日閲覧。
- Joe Pelletier. “Paul Coffey” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月14日閲覧。
- Paul Coffey