マティ・クラーワイン

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マティ・クラーワイン
Mati Klarwein
生誕 Abdul Mati Klarwein
1932年4月9日
ヴァイマル共和国 ハンブルク
死没 (2002-03-07) 2002年3月7日(69歳没)
スペインの旗 スペイン マヨルカ島デイア
国籍 フランス
出身校 エコール・デ・ボザール
アカデミー・ジュリアン
代表作 『受胎告知』(1961年)
『ビッチェズ・ブリュー』のジャケット(1970年)
運動・動向 シュルレアリスム、幻視芸術
公式サイト Mati Klarwein
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マティ・クラーワイン(Abdul Mati Klarwein、1932年4月9日 - 2002年3月7日)は、ハンブルク生まれの画家。ロック、ジャズのレコードのジャケットを数多く描いたことで知られる。

経歴

ヴァイマル共和国ハンブルク生まれ。父親はポーランド出身のユダヤ人の建築家、ヨーゼフ・クラーワイン(Joseph Klarwein)。母親のエルザはオペラ歌手だった。1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任。続いて3月23日にヒトラーは全権委任法を制定し、ヴァイマル共和国は崩壊。ナチスの台頭を恐れたクラーワイン一家はマティが2歳のときにイギリス委任統治領パレスチナに逃れた[1]。

1948年5月14日にイスラエルが建国されると、母とクラーワインはパリに旅立った[1]。1949年から1951年にかけてフェルナン・レジェに学び、エコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンに通った[2]。

1950年代後半、アラビア語で「召使い」を意味する「Abdul」を自らの名前に付けた[3]。1965年、フランス国籍を取得[4]。

1970年、2つのレコードに作品が起用されたことでクラーワインの名は広く一般に知れ渡った。ひとつは3月30日に発売されたマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』[5]の見開きジャケット(ゲートフォールド)[6]。もうひとつは9月に発売されたサンタナの『天の守護神』[7]のジャケットである。ただし後者は既製の作品で、1961年制作の『受胎告知(Annunciation)』が表のジャケット一面と裏のジャケット半面に使用された[8]。その後、多くのミュージシャンのレコードに関わることとなった。

2002年3月7日、スペインのマヨルカ島デイアの自宅でがんのため死去。69歳没。

主なレコードのジャケット

脚注

外部リンク