ラス・コレー

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ラス・コレー

Laasqoray

لاس قُرَي
町
Las Khorey
ラス・コレーの旧市街地
ラス・コレーの旧市街地
ラス・コレーの位置(ソマリランド内)
ラス・コレー
ラス・コレー
ラス・コレーの位置(ソマリア内)
ラス・コレー
ラス・コレー
ラス・コレーの位置(アフリカの角内)
ラス・コレー
ラス・コレー
北緯11度11分0秒 東経48度13分0秒 / 北緯11.18333度 東経48.21667度 / 11.18333; 48.21667
国 ソマリア
地域 サナーグ州
地区 ラス・コレー地区
等時帯 UTC+3 (EAT)

ラス・コレー (ソマリ語: Laasqoray, アラビア語: لاسقُرَى‎ Lāsqoray, Las Qoray) はソマリア北部サナーグ州の港町。ラス・コレーの周辺はラス・コレー地区とされている。プントランド・ソマリランド紛争の係争地の一つ。缶詰製造で著名だったが、今は停滞している。

住民

ラス・コレーの住民は8400人[1]。主な住民はダロッド氏族ワルサンガリ(英語版)支族[2]。周辺のラス・コレー地区全体を含めた人口は34,724人(2005年)[3]。

ラス・コレー市の西にある、ラス・コレー地区ワクダリヤ町の主な住民は、イサック氏族ハバル・ヨニス(英語版)支族のウルルスゲ支支族と、ダロッド氏族ワルサンガリ(英語版)支族のジブリル・サイード支支族[4]。

街並み

ラス・コレーには古く使われなくなった建物が残されており、20世紀にロシア人が作ったもの、数世紀前に作られたものもある[5]。

産業

ラス・コレーは昔から家畜、魚、農産物、乳香などを輸出していた[2]。乳香の原料となるボスウェリア・サクラ(英語版)の西限がラス・コレーである。一方で、米、小麦、砂糖、衣類などを輸入していた[2]。

Las Qorayの缶詰

ツナの缶詰が著名であり「Las Qoray」が商標同様に通用している。

1970年にソマリア政府が漁船用の桟橋を備えた魚の缶詰工場を建設し、ラス・コレーの主要産業となった。ツナの他、輸出用にふかひれも取られる[6]。

ソマリア内戦で停止していた工場は、2001年[6]に再開したが、間もなく閉鎖された。2007年に施設を近代化して再開した[7]。この時には漁師と工場労働者で2800人がいた[8]。8月12日にはアラブ首長国連邦のドバイの会社Hodman Trading Companyがラス・コレーの工場全体を買収している[9]。

2008年3月には、外国船が魚を取りつくしてしまったとして工場が閉鎖されたことが報じられている[10]。

2012年にはイエメンとアラブ首長国連邦に輸出している様子が報告されている[11]。

2019年には偽物が出回っているとBBCが報じている[12]。

ラス・コレーの缶詰工場は、2021年4月時点では停止した状態である[13]。

物流

海運

ラス・コレー港の古い桟橋

ラス・コレー港は14世紀からアラブとの交易に使われていた[2]。

嵐で桟橋が破壊したが、当時のソマリアはソビエト連邦と友好関係にあったので、1972年にソ連が修復して軍事設備としても利用した[2]。1970年にはソマリア政府が漁船用の桟橋を備えた魚の缶詰工場を建設した[8]。ラス・コレー港(英語版)には導流堤(英語版)式の桟橋設備があった[14]。

しかし、ソマリア内戦のため、輸出は滞るようになり、ラス・コレーで取れた農産物もソマリア国内向けとなったため、港湾設備は荒廃した[2]。また、東のボサソの港が整備されたため、港の重要性も低下した[15]。2011年の報告ではラス・コレー港の修復に1400万ドルが必要であると試算されている[8]。プントランド政府による再建プロジェクトが予定されている[16]。

陸上

ゲールドラ道路

1970年代後半、バハンと結ぶ道路としてゲールドラ(英語版)が作られた。

教育

イギリス統治時代、イギリス政府は主要都市に小学校を置いた。ラス・コレーもその一つだった[17]。

プントランド教育省によると、ラス・コレー地区には8つの小学校がある。ただしXidid, Ulxeedなどラス・コレー市の東の地区ばかりであり、ラス・コレー市内への言及はない[18]。

歴史

古代

ラス・コレーの位置(サナーグ内)
ラス・コレー
ラス・コレー
ワカダリヤ
ワカダリヤ
ラス・コレー
関連地図(☆印がゲルウェイタ(英語版))

ラス・コレーの西20キロメートルの位置にはゲルウェイタ(英語版)の壁画があり、数千年前のものとみられている[19]。ラス・コレーの北東数キロメートルの位置にあるカリンヘガネ(英語版)には、約2500年前のものと推定される洞窟画があり、実在する動物、空想上と思われる動物が描かれている[20][19]。カリンヘガネの壁画はラース・ゲール洞窟壁画と似ており、エチオピアン・アラビアン様式と考えられている[21][22]。ただしこれらの遺跡について、まだ十分な調査は行われていない[23]。また、発掘物の盗難も行われている[24]。

中世から近世

中世の砦の遺跡。ラス・コレーでは旧市街の古い建物が、手つかずで残されている。

13世紀、ダロッドの支族ワルサンガリ(英語版)の領主ディドヒン(英語版)がラス・コレーを中心に勢力を伸ばし、君主の称号としてガラードを名乗った[25][2]。

ラスコレーの町は、1735年にugaaslabe氏族のAl-sheikh Cali Maxamud Nuuxがモスクを建設したことに始まり、スワヒリ、ザンジバル、アラビア、インドなどとの交易で栄えた[26]。

1986年、アメリカの石油会社シェブロンの役員がソマリア政府の要請でラス・コレーを訪問し、石油を発見した[27]。

ソマリア内戦とプントランド・ソマリランド紛争

1988年にソマリア内戦が勃発。1991年、ラス・コレーの西部でイサック氏族がソマリランドの独立を宣言した。1998年、ラス・コレーの東部でマジェルテーン氏族がプントランドの独立を宣言した。それぞれ、独立当初は氏族が住む地域の治安維持で精一杯だったが、両国共に比較的早くに安定を確立し、ソマリランドは東に、プントランドは西に勢力を拡大しようとした。両者はワルサンガリ居住地域のあたりで軍事対立した(プントランド・ソマリランド紛争)。

一方、産業が衰退し、軍事技術が上がったため、ラス・コレーを始めとするソマリア沿岸の港町では海賊が栄えた(ソマリア沖の海賊)。海賊行為は2001年ごろから報告されるようになり、2005年ごろから本格化した。

2007年1月、バハンのワルサンガリ一族が「マーヒル国」の建国とプントランドからの離脱を宣言したため、ラス・コレーも参加した。しかし、隣国であるソマリランド、プントランドの双方から圧力があったため、消滅した[2]。

ソマリア内戦が本格化すると、ソマリアから、あるいはエチオピアから隣国イエメンに逃亡する人が増え、イエメン対岸に港があるラス・コレーは一時にぎわった。2008年2月、120人近くのエチオピア人が「イエメンである」と騙されてラス・コレーに捨て置かれたと報じされている[28]。2001年5月には155人を乗せたボートが転覆し、80人以上が死亡した。プントランド警察は、船主は最初から乗客を運ぶつもりがなかったと分析している[29]。

2008年6月終わりに隣国イエメンで海賊に誘拐されたドイツ人がラス・コレーに監禁された。海賊と地元長老との話し合いの条件として、プントランド軍はラス・コレーから撤退したが、ソマリランド軍は海賊を包囲したと報じられている[30]。

2008年10月、オスロで北欧アフリカの角会議が行われ、ラス・コレー開発のプロジェクトが採択された[31]。

2009年8月、ラス・コレーを拠点とするソマリア沖の海賊がエジプト人漁師を捕虜とするが、その漁師たち40人が脱出に成功したとして、話題になった(2009年8月エジプト人質脱出事件(英語版))。

2009年10月、プントランドを拠点とする海賊が、イエメン沖で誘拐した4名を人質に取り、ラス・コレー地区の山に立てこもった。海賊は交渉条件としてプントランド軍の撤退を要求し、地元の長老の仲介で実現した。その直後、ソマリランド軍が人質奪還のためラス・コレーに侵入した[32]

2010年10月、ラスコレー港の建設が海賊行為などを理由として中止されたと報道された[33]。

2011年4月、ラス・コレーで海賊16人がプントランド政府に逮捕された[34]。

2011年7月、ラス・コレーに近づくイギリス海軍のスピードボート5籍にプントランド軍が発砲。イギリス海軍は撤退した。プントランドの任命したサナーグ地域知事は、イギリス海軍はラス・コレーがソマリランド領だとだまされたて来たと発表。[35]

2012年6月2日、ソマリランド海軍は「外国人が違法に資源を採掘している」として、プントランド軍が護衛する外国船を攻撃した。プントランド側も反撃。プントランド側によれば、この外国船は港湾設備の改修の下見を目的としていた。被害は、プントランド側によれば死傷者なし、ソマリランド側によれば兵士1名が負傷、別の情報筋によればソマリランド軍が1名死亡、2名負傷[2]。

2012年6月19日にプントランドの港湾長官がラス・コレーを訪問し、港湾整備のプロジェクトを進めることを約束。その際、ラス・コレー市長ユスフ・ジャマはソマリア・レポートのインタビューで「ラス・コレーはソマリランド、プントランドの双方が領有権を主張しているが、両国共にラス・コレーに職員を置いておらず、行政サービスも提供していない」と証言している[2]。同じソマリア・レポートの続編では、ラス・コレーはプントランドの一部であり、ソマリランドとは敵対していると語っている。そして、バハン、ダハール、ヒンガロール、エルブーなどの村々と連携していると述べている。[27]

2012年11月、ソマリランド軍がプントランド派の民兵を追放[11]。

2014年3月、ソマリランド大統領がラス・コレーを初訪問[36][37]。これがプントランド政府を刺激し、ソマリランド・プントランド両軍の軍備増強のきっかけとなった[15]。

2014年の時点で、ラス・コレーから東のカンダーラにかけての港では違法漁業と密輸が横行していると報じられている[36]。特に、イエメンのシュクラ(英語版)からRPGなどが密輸入されている[36]。

2015年9月29日、プントランド海軍がラス・コレーの漁船を攻撃したと報じられた[38]。

2017年末にソマリランドの大統領選挙が行われたが、ラス・コレーはプントランド占領地であるとして、選挙区から除外された[39]。安全保障研究所(英語版)(ISS)の分析も、ラス・コレーは投票が行われたバハンと比べてプントランドの支配が強いとしている[40]。

2019年末には大雨のため、町に通じる道路が通行できない状態になった[41]。

2020年2月25日、ラス・コレー地区でソマリランド軍とプントランド軍の短時間の戦闘が行われ、少なくとも1名が死亡した[42]。ラス・コレー市内では戦闘はなかった[43]。

ソマリランド軍とプントランド軍の争いにより治安が悪化したため、アル・シャバブが力を伸ばし、ラス・コレー地区のいくつかの村の占拠したと自称している[44]。プントランド軍は11月2日からアルシャバブの捜索を開始したが、アルシャバブの目的はゲリラ戦であり村の恒久占拠ではなかったため、相手が見つからずに難航[45]。12月にはアルシャバブはミルホ地域を支配。[46]

2021年5月1日、ソマリランド軍がラス・コレー地区のワクダリヤを襲撃し、17名を拘束した[47]。

2022年1月のBBCの報道では、ソマリランド軍の活動範囲にラス・コレーも含まれるとされている。[48]

市長

  • Haji Yusuf Jamac(2012年)[2][27]
  • Mohamed Hayan Arshe(2012年)[11]
  • Cabdiraxmaan Maxamed Cali (Sucuud)[49]
  • Yuusuf Jaamac Dibid(2020年)[46]

関係者

出典

  1. ↑ Somalia City & Town Population. Tageo.com. Retrieved on 2011-12-15.
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 SomaiaReport (2012年6月20日). “What is Lasqoray?”. 2021年5月4日閲覧。
  3. ↑ “Regions, districts, and their populations: Somalia 2005 (draft)”. UNDP. 21 September 2013閲覧。
  4. ↑ “Waqdariya”. Allsanaag.com. (2021年5月3日) 2021年5月3日閲覧。
  5. ↑ “DAAWO SAWIRRADA:-Muuqaalka Iyo Bilicda Degmada Laasqoray Ee Gobolka Sanaag”. Radio Mogadisho. (2012年6月19日) 2021年5月4日閲覧。
  6. 1 2 Academy for Peace and Development (2002年7月). “Regulating the Livestock Economy of Somaliland”. 2021年5月4日閲覧。
  7. ↑ “Warshada Laas-Qoray oo dib u hawl gashay”. BBC Somali. (2007年11月28日) 2021年5月3日閲覧。
  8. 1 2 3 REPUBLIC OF SOMALILAND (2011年12月). “National Development Plan (2012-2016)”. 2021年5月4日閲覧。
  9. ↑ “Shirkad Cusub oo gatatey Warshada kaluunka Ee Laas Qoray.”. LaasqorayNet. (2007年8月13日) 2021年5月4日閲覧。
  10. ↑ “Warshadii Kalluunka ee Laasqoray ayaa la xidhay ka dib kalluunkii oo Gabaabsi galay”. maakhir.com. (2008年3月1日) 2021年5月4日閲覧。
  11. 1 2 3 “Somaliland: Puntland Militias Chased out of Las Qoray”. Somaliland Sum. (2012年11月14日) 2021年5月4日閲覧。
  12. ↑ “Waa kee waddanka "qaatay" magacii warshadda kalluunka ee Laasqoray?”. BBC. (2019年8月8日) 2021年5月3日閲覧。
  13. ↑ “Warshaddii Kalluunka Laasqoray: Dayac, Baaba’ & Burbur (sawirro)”. daljir. (2021年4月18日) 2021年5月3日閲覧。
  14. ↑ “Istanbul conference on Somalia 21 – 23 May 2010 - Draft discussion paper for Round Table "Transport infrastructure"”. Government of Somalia. 31 August 2013閲覧。
  15. 1 2 “Between Somaliland and Puntland” (2015年). 2021年5月4日閲覧。
  16. ↑ “Somalia: Puntland Minister of Ports visits Lasqoray”. Garowe Online. (17 June 2012). オリジナルの17 October 2013時点におけるアーカイブ。 13 November 2012閲覧。
  17. ↑ UNICEF (2005年6月2日). “Education Report - Kimkam Dev. Cons./UNICEF”. 2021年5月4日閲覧。
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  20. ↑ Hodd, Michael (1994). East African Handbook. Trade & Travel Publications. p. 640. ISBN 0844289833
  21. ↑ Istituto universitario orientale (Naples, Italy) (1992). Annali: Supplemento, Issues 70-73. Istituto orientale di Napoli. p. 57
  22. ↑ “Rock Art Sites of Somaliland”. CyArk. 29 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。28 March 2014閲覧。
  23. ↑ Michael Hodd, East African Handbook, (Trade & Travel Publications: 1994), p.640.
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  46. 1 2 “Al-Shabaab oo degaan "qabsatay kana qafaalatay" 7 ruux”. garoweonline.com. (2020年12月12日) 2020年12月12日閲覧。
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  49. ↑ “Laasqoray:Gudoomiyaha Degmada Laasqoray Oo Gudidda Abaaraha Ugu Baaqay Inay Gurmad Soo Gaadhsiiyaan.”. afkashacabka.com. (2016年2月28日) 2022年2月5日閲覧。

外部リンク