一色義辰

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一色義辰
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:一色修理大夫
官位 修理大夫
幕府 室町幕府
主君 足利義昭
氏族 一色氏(丹後一色家)
父母 不明[注釈 1]
兄弟 義員?、昭辰?[1]
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一色 義辰(いっしき よしたつ)は、戦国時代の武将。

概要

足利義昭配下の武将として、織田信長と敵対した際には越後上杉氏や毛利氏に協力要請の書状を作成している。また、天正7年(1576年)5月には、配下の石川繁が荻野直正や赤井幸家と通じて毛利氏に援軍を要請している[2]。

梅本政幸は丹後国竹野郡の郡代であったとし、竹野郡芋野小字竹藤(現在の京丹後市)には一色義竜の墓があるとする[1]。

丹後守護一色氏代々控の系譜

脚注

注釈

  1. ↑ 梅本政幸は一色直長という人物を父親としているが、直長という名前は史料からは確認できない[1]。

出典

  1. 1 2 3 梅本政幸『丹後守護一色氏代々控』(丹後地方中世史研究会、2011年10月28日)
  2. ↑ 清水敏之「戦国期丹後一色氏の基礎的研究」『戦国史研究』第82号、戦国史研究会、2021年、1-16頁。