三善為長

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
三善為長
時代 平安時代中期 - 後期
生誕 寛弘4年(1007年)
死没 永保元年8月3日(1081年9月8日)
官位 従四位下・主税権助
主君 後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇
氏族 三善氏
父母 父:三善雅頼
子 雅仲
養子:為康
テンプレートを表示

三善 為長(みよし の ためなが)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。算博士・三善雅頼の子。官位は従四位下・主税権助。

経歴

後朱雀朝の長暦3年(1039年)に算博士に任官すると、以降40年以上に亘ってこれを務める。後冷泉朝に入ると主税権助にも任ぜられたほか、美濃介・越後介・越前介・土佐介・備前権介と地方官も兼ねた。また、後冷泉朝末の治暦3年(1067年)大外記に任ぜられ、後三条朝の延久元年(1069年)には、長年の労により紀伝道以外の学者ながら対策の問答博士も務めた。

延久3年(1071年)大外記を辞すが、延久4年(1072年)までに正五位下に叙せられる。白河朝の承暦3年(1079年)従四位下に至り、この頃播磨介も兼ねた。永保元年(1081年)8月3日卒去。

実子・雅仲(大外記・算博士)がいたものの、算道に通じた門人・射水為康を養子に迎えて跡継ぎとした。

官歴

系譜

  • 父:三善雅頼
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:三善雅仲
  • 養子
    • 男子:三善為康(1049-1139) - 越中国の豪族射水氏の出身

脚注

  1. 1 2 3 『大間成文抄』5
  2. ↑ 『朝野群載』8
  3. 1 2 『朝野群載』22 康和2年3月26日三善雅仲申文
  4. 1 2 『外記補任』
  5. ↑ 『類聚符宣抄』4 外記宣旨
  6. ↑ 『除目申文之抄』
  7. ↑ 『平安遺文』1161
  8. ↑ 『革暦類』『革勘例』1161

参考文献