三島名継

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
三島名継
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 天平20年(748年)
死没 大同5年4月11日(810年5月17日)
別名 奈継
官位 正四位下・左京大夫
主君 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇
氏族 三島真人
テンプレートを表示

三島 名継(みしま の なつぐ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。名は奈継とも記される。姓は真人。舒明天皇の皇子・蚊屋皇子の後裔[1]。官位は正四位下・左京大夫。

経歴

延暦2年(783年)従五位下に叙爵すると、延暦3年(784年)長岡宮造営の功労により従五位上と桓武朝初頭に続けて昇叙され、延暦4年(785年)内厩頭に任ぜられる。

延暦15年(796年)までに従四位下に昇り、同年12月左衛士督に任ぜられるが、早くも延暦16年(797年)正月には大和守として地方官に転じる。

その後、中務大輔に任ぜられて京官に復す。延暦23年(804年)2月に衛門督に任官すると、10月には桓武天皇の和泉・摂津両国の行幸に奉仕したことにより正四位下に叙せられている。桓武朝末の延暦25年(806年)越前守に任ぜられて再び地方官に転じるが、平城朝では左京大夫や摂津守を務めている。

大同5年(810年)4月11日卒去。享年63。最終官位は左京大夫兼摂津守正四位下。

官歴

『六国史』による。

脚注

  1. ↑ 『新撰姓氏録』左京皇別

参考文献