上川離宮(かみかわりきゅう)は、明治時代中期(19世紀末)に当時の北海道上川郡旭川村(現旭川市)への誘致が検討されていた離宮の名称。離宮だけでなく、西京=京都、南都=奈良、東都=東京などと同様に、上川郡に「北京」を建設するという構想もあった。どちらも実現には至らず構想にとどまった。
役職はいずれも当時のもの。
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