中御門宣教

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中御門宣教
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文12年(1543年)
死没 天正6年4月1日(1578年5月17日)
官位 正四位上、左中弁
主君 正親町天皇
氏族 中御門家
父母 父:中御門宣治、母:富小路氏直娘
兄弟 俊長、宣経、東坊城種長、宣教
子 中御門資胤室
養子:資胤
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中御門 宣教(なかのみかど のぶのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家。権大納言・中御門宣治の子。官位は正四位上・左中弁。

経歴

永禄3年(1560年)従五位下に叙爵し、左衛門佐次いで右少弁に任官する。弁官に五位蔵人を兼ねながら昇進し、天正2年(1574年)には正五位下・右中弁となる。天正5年(1577年)左中弁兼蔵人頭(頭弁)に任ぜられるとともに、一年間で三階の昇叙を受け正四位下となる。天正6年(1578年)正月に正四位上に叙せられるが、同年4月1日に急逝する。享年36。法名は正哲。

宣教には娘しかいなかったため、庭田重保の子・資胤が宣教の娘を娶り、養子として中御門家を継承した。

官歴

『諸家伝』による。

系譜

『系図纂要』による。

参考文献