中村 守手(なかむら もりて、1820年3月25日(文政3年2月12日) - 1882年(明治15年)2月4日)は、幕末から明治期の国学者。本姓は永井。通称は富得、文太夫、三千雄。号は西涯、甲文丘、鼎山。
文政3年(1820年)生まれ。出雲大社の神官であり国学者の中村文太夫守臣の養子となり[1]、国学や和歌を学んだ。明治2年(1869年)松江藩藩校修道館の教授となる。のち熊野神社宮司。易学、軍学にも通じた。
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