丸岡九華

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丸岡 九華(まるおか きゅうか、本名:久之助、慶應2年3月25日(1866年5月9日) - 昭和2年(1927年)7月9日)は、日本の詩人、小説家、実業家。

人物

江戸青山生まれ。共立学校(現開成高等学校)、東京大学予備門を経て[1]、1887年高等商業学校(現一橋大学)卒業[2][3]。

在学中、尾崎紅葉らと硯友社創設に参画し、新体詩などを発表したが[4]、卒業後は文学を離れ[2][1]、矢野二郎校長の勧めで教員となり、1892年からは県立神戸商業学校校長事務取扱を務めた[5][6]。

のち、実業家に転じ[2][7]、高田商会横浜支店長等を経て、独立[5]。イギリスのサン保険会社(英語版)の東京支店開設にあたり同支店支配人となり、同社の契約高や保険料収入を日本国内3位以内にまで育てた[8][9][10]。子爵青山家の家政協議員なども務めた[1][9]。墓所は青山霊園(1種イ6号12側)。

脚注

  1. 1 2 3 日本之精華毎日通信社出版年月日大正3
  2. 1 2 3 丸岡九華(読み)まるおか きゅうか デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ↑ 官報 1889年03月21日
  4. ↑ 丸岡 九華 徳富蘇峰記念
  5. 1 2 天才乎人才乎 : 現代実業家月旦 東京堂出版年月日明41.5
  6. ↑ 六十年史 兵庫県立第一神戸商業学校出版年月日昭13
  7. ↑ 丸岡 九華(読み)マルオカ キュウカ 20世紀日本人名事典 「丸岡 九華」の解説
  8. ↑ 大正人名辞典 3版 東洋新報社出版年月日大正6
  9. 1 2 人物と其勢力 毎日通信社出版年月日大正4
  10. ↑ 東京高等商業学校同窓会々員録 明治44年11月改
先代
高柳豊三郎
県立神戸商業学校校長事務取扱
1892年 - 1893年
次代
平生釟三郎