久我通嗣

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
久我通嗣
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 弘安2年(1279年)
死没 正平9年/文和3年2月10日(1354年3月5日)
官位 正二位・権中納言
主君 亀山上皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇
氏族 久我家
父母 父:久我通基
兄弟 通雄、通嗣、通村、通任、通宣、敦通、道雅
テンプレートを表示

久我 通嗣(こが みちつぐ)は、鎌倉時代後期の公卿。内大臣・久我通基の三男[1]。官位は正二位・権中納言。

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注

  1. ↑ 兄弟たちの中では嫡兄である通雄に次ぐ官位に昇ったため、二男の可能性もある。しかも20代で権中納言に昇っている。
  2. ↑ 大嘗会の国司として。
  3. ↑ 院の御給による。
  4. ↑ 以後、薨去するまで約50年間にわたって前権中納言正二位のままであった。

参考文献