| 時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
|---|---|
| 生誕 | 承安4年(1174年) |
| 死没 | 建保4年6月10日(1216年6月26日) |
| 別名 | 五辻中納言 |
| 官位 | 正二位、中納言 |
| 主君 | 近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇 |
| 氏族 | 花山院家庶流五辻家 |
| 父母 | 父:藤原兼雅、母:平清盛の次女 |
| 兄弟 | 九条良通室、花山院忠経、家経、兼信、兼成、円雅 |
| 妻 | 高階泰経の娘、藤原成親の娘 |
| 子 | 雅継、花山院宣経、藤原実経、藤原信家 |
五辻 家経(いつつじ いえつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。左大臣・藤原兼雅の子。官位は正二位・中納言。五辻中納言と号す。花山院家の分家である五辻家の始祖と見なされている。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
家経の後は五辻家と称される藤原北家花山院家の分家として続いていく。家経の跡を継いだのは二男の雅継であり、安倍春元の娘との間に生まれた忠継が雅継の跡を継ぐ。忠継と平高輔の娘との間に生まれたと考えられる忠子は後醍醐天皇を生んで談天門院の女院号を得る。一方、忠継と卜部兼直の娘との間には経氏が生まれ、経氏の娘である経子は後伏見天皇を生んだ。
鎌倉時代後期に五辻家が持明院統と大覚寺統、典侍を出す家となり結果的に双方の外戚となった背景は今後の検討を要する。
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS D24