井伊直忠

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井伊 直忠
井伊家
続柄

全名 井伊 直忠(いい なおただ)
身位 伯爵
敬称 閣下
出生 (1881-05-29) 1881年5月29日
死去 (1947-04-01) 1947年4月1日(65歳没)
子女 井伊直愛
父親 井伊直憲
母親 宜子女王
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井伊 直忠(いい なおただ、1881年(明治14年)5月29日 - 1947年(昭和22年)4月1日)は、旧彦根藩主井伊家の第15代当主、正二位伯爵。最後の藩主だった井伊直憲の次男。母は井伊宜子(有栖川宮幟仁親王の王女)。東京生まれ。息子の井伊直愛は直忠没後に彦根市長を務めた。

主な経歴

  • 生涯の大半を能に打ち込み、東京の麹町にあった本邸に能舞台を構え、初世梅若万三郎(1868年 - 1946年)や二世梅若実(1878年 - 1959年)に師事し、能の実力はかなりのものだったという。関東大震災で本邸が焼失すると角筈にあった別邸に再度能舞台を造り、能道具の収集などを行った。
  • 現在、彦根城博物館にある能面や装束は直忠が収集したという。
  • 1935年(昭和10年)、東京都調布市佐須5丁目(現在の晃華学園)に構える田中銀之助の別荘を取得する。田中銀之助は鉱山経営者であり、別荘は1916年〜1917年(大正5〜6年)頃に建てられたもの。
  • 1944年(昭和19年)、彦根城を彦根市に寄贈し、現在に至る[1]。
  • 墓所は歴代当主と同じく世田谷豪徳寺。戒名は直心院殿忠山琴堂大居士で、墓石は卵塔の形をしている。

栄典

その他

  • 1910年頃に制作された映画『忠臣蔵』を鑑賞した際に尾上松之助の演技を絶賛。自ら筆をとり『熱誠動人』という額を作り尾上に贈った。この額は大切にされ、尾上が亡くなった際には枕元に置かれた[3]。

関連項目

脚注

注釈

  1. ↑ 演じる松平健は、他にも八幡鳩九郎と紫公方を演じている。
  2. ↑ ただし、彦根藩主としての「井伊直忠」は実在していない。

出典

  1. ↑ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、289頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
  2. ↑ 『官報』第4112号「叙任及辞令」1940年9月18日。
  3. ↑ 目玉の松ちゃん死去『大阪毎日新聞』大正15年9月12日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p51 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
日本の爵位
先代
井伊直憲
伯爵
(彦根)井伊家第2代
1902年 - 1947年
次代
襲爵者なし