京都市立柳池中学校

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京都市立柳池中学校
北緯35度00分42秒 東経135度45分52秒 / 北緯35.01175度 東経135.7643061度 / 35.01175; 135.7643061座標: 北緯35度00分42秒 東経135度45分52秒 / 北緯35.01175度 東経135.7643061度 / 35.01175; 135.7643061
過去の名称 上京第二十七番組小学校
柳池小学校
柳池国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 昭和22年(1947年)5月5日[1]
創立年月日 明治2年(1869年)5月21日
創立者 上京第27番組
共学・別学 男女共学
所在地 〒604-0954
京都府京都市中京区御池通富小路西入東八幡町579[1]
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京都市立柳池中学校(きょうとしりつ りゅうちちゅうがっこう)は、京都府京都市中京区にあった公立中学校。なお、本項では前身で日本初の近代小学校とされる柳池小学校および柳池幼稚園についても解説する。

概要

「日本最初小学校」の碑

京都市立柳池中学校は、戦後の教育改革に際して昭和22年(1948年)に新制中学校として開校し、2003年(平成15年)に京都市立京都御池中学校に統合され、閉校した。

同校のもとになるのは、明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして、そのなかでも最も早く開校した柳池小学校である。

「柳池」の名称は、明治6年(1873年)に柳馬場通御池上る東八幡町への移転時に、通り名の柳と池をとって付けられた[2]。

沿革

柳池小学校

柳池中学校

閉校後

  • 2007年(平成19年) - 元柳池校地に新校舎が完成し、京都御池中学校が移転。

通学区域

柳池中学校の通学区域は、開校当初は生祥小学校と富有小学校の通学区域、元学区でいうと柳池学区・生祥学区・富有学区であった[1]。

柳池小学校の通学区域は、柳池学区各町であった。

柳池学区

柳池学区(りゅうちがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元柳池小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

柳池学区の沿革

明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第27番組に由来し、同年には、区域内に上京第27番組小学校が創立した。

上京第27番組は、明治5年(1872年)には上京第30区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第30組となった。設置された上京第27番組小学校は、明治6年に校名を柳池に改称した[2]。

上京第30組は、学区制度により明治25年(1892年)には上京第25学区となった[11]。

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、上京第25学区から柳池学区となり、中京区に属した[2]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[12]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

戦後の学制改革により、昭和22年に柳池小学校が閉校し、その校地・校舎を用いて新制中学校として柳池中学校が設けられた[2]。この柳池中学校は閉校したが、同校と京都城巽中学校の統合により開校した京都御池中学校が、元柳池中学校の場所に建つ。

柳池学区の通学区域

柳池学区にあった柳池小学校が、戦中に高等科のみの国民学校となり、戦後には新制中学校の柳池中学校となったため、柳池学区では小学校は2つの通学区域(生祥小学校[注釈 4]・富有小学校[注釈 5])に分けられることになり、柳池学区の範囲は小学校の通学区域と一致していなかった。現在は、小学校の統廃合により、学区全体が京都市立御所南小学校の通学区域となっている。

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[14]、柳池学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第19国勢統計区[注釈 6])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は4,582人、2,505世帯である。

地理

中京区の北東部に位置する学区であり、北側は富有学区、東側は銅駝学区、南側は立誠学区・生祥学区・日彰学区、西側は初音学区に接する。区域は、北は二条通、南は三条通、西は柳馬場通、東は寺町通に面し,御池通が中央部を東西に貫いており、面積は0.227平方キロメートルである[15][注釈 7]。

柳池学区内の通り

柳池学区の町名

  • 妙満寺前町
  • 上本能寺前町
  • 下本能寺前町
  • 天性寺前町
  • 山本町
  • 亀屋町
  • 大文字町
  • 丸屋町
  • 尾張町
  • 上白山町
  • 中白山町
  • 下白山町
  • 俵屋町
  • 守山町
  • 松下町
  • 福長町
  • 等持寺町
  • 虎石町
  • 柳八幡町
  • 油屋町
  • 丁子屋町
  • 晴明町
  • 橘町
  • 御池大東町
  • 東八幡町
  • 姉大東町
  • 菊屋町

周辺

柳池学区の施設

脚注

注釈

  1. ↑ 柳池、梅屋、竹間、日彰、富有、初音、明倫、龍池、生祥、立誠、城巽、教業、春日、乾の各校下の男子が通学対象[9]。
  2. ↑ 当時柳池学区内にあった町内会(現在の公称町とは異なる。)のうち、二条町、鶴亀町、新橘町、守屋町、北白山町の児童が富有校、上柳町、南白山町、南柳町、御幸町、姉菊屋町、松長町、本妙町、下本能寺町、天性寺町の児童が生祥校に編入された[9]。
  3. ↑ 昭和22年5月5日から昭和23年4月16日まで、柳池中学校の通学区域には龍池小(男子のみ)を含む。
  4. ↑ 天性寺前町・上本能寺前町・下本能寺前町・大文字町・丸屋町・上白山町・中白山町・下白山町・松下町・福長町・柳八幡町・油屋町・虎石町・御池大東町・妙満寺前町・姉大東町・菊屋町の17か町[13]。
  5. ↑ 山本町・亀屋町・尾張町・俵屋町・守山町・等持寺町・丁子屋町・晴明町・橘町・東八幡町の10か町。
  6. ↑ 令和2年国勢調査時点
  7. ↑ なお、 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国政統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積でも0.227平方キロメートルとなる。

出典

  1. 1 2 3 4 5 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 229, 「京都市立柳池中学校」同書では学校名に「やないけ」とルビが振られているが誤りである。
  2. 1 2 3 4 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 154–155, 「柳池学区」
  3. 1 2 “都市史26 町組改正と小学校”. www2.city.kyoto.lg.jp. 2023年5月27日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 『京都市学区大観』 (1937), pp. 67–68, 「中京区柳池学区」
  5. ↑ 重久篤太郎「京都の英学一京都府女紅場・女学校(1872~1882)」『英学史研究』第5号、日本英学史学会、1972年、102頁。
  6. ↑ 原祐子「保育における子どものうた」 (PDF) 『四天王寺大学紀要』第47号(2009年3月)
  7. ↑ 文部科学省『学制百二十年史』第一編・第一章・第一節「初等教育」
  8. 1 2 3 “NA115 柳池幼稚園記念碑”. www2.city.kyoto.lg.jp. 2023年5月27日閲覧。
  9. 1 2 3 『閉校記念誌 柳池』京都市教育委員会、2007年、37-38頁。
  10. ↑ 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 230, 「京都市立初音中学校」.
  11. ↑ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418。
  12. ↑ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074。
  13. ↑ 『閉校記念誌 生祥』京都市教育委員会、1997年、81頁。
  14. ↑ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  15. ↑ “語りつがれるわがまち「柳池学区」”. 2024年2月11日閲覧。
  16. “素晴らしきわがまち「柳池学区」”. 2024年2月11日閲覧。
  17. “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
  18. “京都市立中学校・総合支援学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年2月3日閲覧。

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク