仲座方秀

ウィキペディアから、無料の百科事典

仲座 方秀(なかざ ほうしゅう、1920年11月18日 - 2011年6月20日)は、日本の新聞記者、経営者。沖縄タイムス社社長を務めた。沖縄県那覇市出身[1]。

経歴

1940年に旧制成淵中学校(現在の成淵高級中学)を卒業[1]。琉球新報社で記者としての勤務を経て、1952年に沖縄タイムス社に転じた[1]。1974年に取締役に就任し、1975年に常務、1977年に専務を経て、1981年3月には社長に就任[1][2]。カラーオフセット輪転機の導入と併せて、新聞製作システムをそれまでの鉛活版からコンピューターによる新聞組版システムに移行させ、これらの設備投資に対応するために、資本金をそれまでの9760万円から2倍以上の2億435万年に増資した[2]。また、経営を立て直すために、人員整理を打ち出し、1982年1月には社員への希望退職者募集を実施し、同年4月には40人の退職者を出した[2]。しかし、これに対して、労働組合が経営陣の責任を追及したことにより、退職金として、7億2000万円を借り入れる事態となり、役員会は混乱した[2]。この責任を取る形で、1982年6月に社長を退任[2][1][3]。

2011年6月20日老衰のために死去[1]。90歳没。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 「現代物故者事典 2009-2011」p427
  2. 1 2 3 4 5 「未来へつなぐ 沖縄タイムス社70年史」p259
  3. ↑ 1982年 6月15日 日経産業新聞 p19