伴久永

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伴久永
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 貞観11年(869年)
死没 承平3年(933年)正月
官位 正五位下・勘解由次官
主君 醍醐天皇→朱雀天皇
氏族 大伴氏(伴宿禰)
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伴 久永(とも の ひさなが)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。式部少丞・大伴池主の後裔とする系図がある[1]。官位は正五位下・勘解由次官。

経歴

醍醐朝にて勘解由判官・少外記を経て、延喜14年(914年)大外記に任ぜられるが、延喜15年(915年)従五位下・淡路守に叙任され地方官に転じる。

翌延喜16年(916年)早くも大外記に復任して阿刀春正に代わって大夫外記になると、承平3年(933年)に没するまで、醍醐朝後半から朱雀朝初頭にかけて15年以上の長きに亘って大外記上首の地位にあった。この間、侍従・勘解由次官や、阿波権掾・紀伊権介・美濃権介と地方官を兼ねる一方、延長2年(924年)従五位上、承平2年(932年)正五位下と昇進している。また、延長3年(925年)からは左大史・阿刀忠行と共に延喜式の編纂に参画し、延長5年(927年)に式が上表された際に、左大臣・藤原忠平、大納言・藤原清貫、神祇伯・中臣安則らと共に二人の名前が挙がっている[2]。

承平3年(933年)正月卒去。享年65。最終官位は正五位下行勘解由次官兼大外記。大夫外記の地位は菅野清方が継いだ。

官歴

『外記補任』による。

脚注

  1. ↑ 鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰
  2. ↑ 『延喜式』上延喜格式表
  3. ↑ 『類聚符宣抄』第6

参考文献