八幡信太

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八幡 信太(やわた しんた、1845年(弘化2年10月[1][2])- 1925年(大正14年)12月20日[1][2])は、幕末の村役人、明治から大正期の農業経営者・政治家。衆議院議員。旧名・信左衛門[3]。

経歴

隠岐国穏地郡代村(島根県[1]穏地郡代村[3]、五箇村[2][3]、隠岐郡五箇村を経て現隠岐の島町)で生れた。和漢学を修め[1][2]、庄屋を務めた[3]。農林業を営む[1]。

1868年(慶応4年)隠岐騒動では、自治政府の総会所・撃剣頭取を務めた[3][4]。その後、区戸長、代村戸長、大区副区長、島根県会議員(5期)、徴兵参事員などを務めた[1][2]。また三等郵便局長に在任した[1][2][3]。

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(島根県第6区、無所属)で当選し[5]、湖月派に所属して衆議院議員に1期在任した[1][2][3]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』224頁。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』464頁。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 「八幡信左衛門」『島根県歴史人物事典』610頁。
  4. ↑ 『隠岐島誌』444頁。
  5. ↑ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』45頁。

参考文献

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 隠岐島誌編纂係編『隠岐島誌』島根県隠岐支庁、1933年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 山陰中央新報社・島根県歴史人物事典刊行委員会編『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。