函館のイカ釣り漁

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函館のイカ釣り漁(はこだてのイカつりりょう)とは、北海道函館市およびその周辺市町村にて行われている小型イカ釣り漁船による沿岸漁業である。

概要

函館市やその周辺市町村でのイカ漁は3種類あり、小型イカ釣り漁船(30トン未満)による日帰りの沿岸漁業、中型イカ釣り漁船(30トン以上199トン未満まで)による2ヶ月から2ヶ月半をかけて行う沖合漁業(近海漁業ともいう)、そして定置網漁である[1][2]。

函館周辺では津軽海峡がイカの回遊路にあたるためイカ漁を営むことができる[3]ものの、当初は地域では商品価値が低かったことで漁民の食料や釣り餌としての少量の利用にとどまっていたとされる[4]。よって当初は江戸時代末期(幕末)になってから新潟県の佐渡よりスルメイカを追って北上してきた漁民によってイカ釣り漁が行われたにすぎなかった[5]。

漁として地域に定着するきっかけは函館港が開港し、長崎俵物の一つであったスルメが中国へ輸出されるようになったからとする[4]。明治時代に開催された博覧会「内国勧業博覧会」に佐渡が漁具を出品したこと、明治中期以降に地域でもスルメの商品価値が高まったこと[5]、同時期に本州の日本海側各地から川崎船(読みはカワサキフネまたはカワサキセン)に乗ってきた漁民が地域で漁を行ったことからである[6]。出張漁民は当初加賀、越前、越後が中心、後に越中、佐渡、庄内、秋田、津軽方面からきた[6]。

函館やその周辺地域の漁業技術は慶応から明治にかけて佐渡に学んだ[5][7]。現在使われているイカ釣針の原型が記録に現れるのは1457年で、新潟県佐渡市の両津港で創始されたものとしている[8]。1955年(昭和30年)頃まではイカがいる水深に合わせて「トンボ」「ヤマデ」「ハネゴ」と呼ばれる漁具を使い分けて捕獲していた。以降は手回し式イカ釣り機、通称「テマギ」「ダブル」になり、さらに自動イカ釣り機に改良されている[9]。集魚灯の利用もこのころからである[5]。イカ漁の集魚灯の灯、いわゆる漁火(いさりび)は函館夜景に漁期限定だが幻想的な効果を与えているという[10]。北海道や青森県といった津軽海峡沿岸で行われた漁具の改良は技術を教わった本家の佐渡にも伝えられた[5]。

漁船は当初磯舟や持符船がもっぱら使われていたが、明治時代の末頃から函館でも川崎船を使用するようになった[11]。なお、川崎船とは、福井県川崎村(現・坂井市三国町)で初めて造られた無動力船である[12]。1921年(大正10年)前後からチャッカ船(着火船)と呼ばれる動力船が普及しはじめた[13]。

元々「イガツケ(『カ』は濁音になる。記述ミスではない)」と呼ばれた漁で[5]、現代の「イカ釣り」と呼ばれるようになったのは昭和時代に入ってからである。「イガツケ」と呼ばれていた理由はイカを釣るのではなくイカをかぎ針に引っ掛ける漁法からこのように呼ばれた[5][14]。

1945年(昭和20年)第二次世界大戦の敗戦により漁場に制限が加わり、いままで函館の主産業であった北洋漁業が衰退し、代わって注目を浴びた。他の理由は当時豊漁であったこと、漁場が日帰りができる近場であったこと、少ない資金で参入できたことから千島や樺太からの漁業の引揚者、復員軍人、敗戦による失業者など当時函館に住んでいた生活困窮者が容易に参入できたからである[15]。

しかし2018年(平成30年)地球温暖化によりイカの漁獲量がブリに逆転された[16]

漁具

主な漁具は釣具(現在は自動イカ釣り機)、魚群探知機、シーアンカー、集魚灯である[17]。

釣具

手釣り漁具

1955年(昭和30年)頃まで利用されていた漁具[9]

  • ハネゴ - 木製の柄に二本の細い竹をつけたものに、テグスを下げその先端に鉤をつけたもの[5]。イカが水面付近にいる場合に使う[9]
  • ヤマデ - イカが水深30mにいる場合に使う[9]
  • トンボ - 木の芯に鉛をかぶせた重りに半円形の鉄線をつけたもので、その先端からテグス(釣り糸)を下げ鉛の鉤をつけたもの[5]。イカが水深50m付近にいる場合に使う[9]

イカ釣り機

イカ釣り機とは円筒形のドラムにテグス(釣り糸)とイカ釣り針をつけた漁具である。1955年(昭和30年)頃以降に開発や普及をした[9]。昭和時代中期以降に登場した自動イカ釣り機が高価な道具であり経費がかさむ問題が出てきた[17]。

  • 手回し式イカ釣り機 - 手動式のイカ釣り機。函館(函館漁港や函館港側、宇須岸)では「テマギ」、住吉町周辺(谷地頭側、旧・尻沢辺村)ではドラムの両脇に仕掛けが付くことから「ダブル」とも呼ばれていた[9]
  • 自動イカ釣り機 - 手回し式イカ釣り機を自動化したもの。函館においては1956年(昭和31年)から自動化が始まり、翌1957年(昭和32年)関鉄工所の「セキ式全自動いか釣機イカホーラー」が登場している。函館の企業による自動イカ釣り機は東和電機製作所の「はまで式いか釣機」がある[9]

集魚灯

夜間の操業中は集魚灯を点灯させ海面を照らす必要があるため、発電のための燃料がかさむ問題を抱える[17]。資源管理等により光量制限は総和180kW未満、水中灯の使用は禁じられている[17]。

脚注

  1. ↑ "函館のイカ" 全国いか釣り漁業協会 2026年9月24日閲覧
  2. ↑ 澤村正幸 "第19話 スルメイカ〜来遊予測と利用〜" 北海道立総合研究機構 2026年10月1日閲覧
  3. ↑ 函館地域の水産地理学研究 pp.179-185
  4. 1 2 椴法華村史 pp.617-618
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 函館市史 銭亀沢編 pp.473-476
  6. 1 2 函館市史 銭亀沢編 p.246
  7. ↑ 函館市史 通説編第4巻 pp.693-697
  8. ↑ イカ釣りLED漁港活用ガイドⅡ p.7
  9. 1 2 3 4 5 6 7 8 函館市史 通説編第4巻 pp.693-697
  10. ↑ はこぶら編 "夜の海に光が浮かぶ、津軽海峡「漁火夜景」" 函館市 2012年8月22日更新 2026年9月6日閲覧
  11. ↑ 椴法華村史 pp.618-620
  12. ↑ "収蔵資料『川崎船』" 厚岸町海事記念館 2026年10月6日閲覧
  13. ↑ 南茅部町史 上巻 pp.995-998
  14. ↑ 中村円香 "道南・南茅部地区の昆布漁に関する生活語彙の研究" 藤女子大学国文学雑誌 (93), 1-18, 2015-11
  15. ↑ 函館市史 通説編第4巻 pp.166-170
  16. ↑ "イカのまち・函館では約10年で漁獲量が20分の1に、一方ブリは30倍!イカゲームの次はブリブームだ!" 週プレニュース 2022年1月9日更新 2023年12月21日閲覧
  17. 1 2 3 4 "スルメイカ:いか釣り漁業" 北海道立総合研究機構 2013年3月1日更新 2026年10月27日閲覧

参考文献

  • 自治体史
    • 南茅部町史編集室編 『南茅部町史 上巻』 南茅部町 1987年
    • 椴法華村編 『椴法華村史』 椴法華村 1989年
    • 函館市史編さん室編 『函館市史 銭亀沢編』 函館市 1998年
    • 函館市史編さん室編 『函館市史 通説編 第4巻』 函館市 2002年
  • 個人誌
    • 渡辺英郎 『函館地域の水産地理学研究』 1993年
    • いか釣り漁業漁灯技術研究会編 『イカ釣りLED漁灯活用ガイドⅡ』 水産研究・教育機構 開発調査センター 2021年

関連項目