刀利康嗣

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刀利 康嗣(とり の やすつぐ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・儒学者。姓はなし。伊予掾・刀利宣令の近親か。官位は従五位下・大学博士。

経歴

文武朝の慶雲2年(705年)大学助・藤原武智麻呂が釈奠を復興した際に、その請により宿儒として釈奠の文を作成した[1]。元明朝の和銅3年(721年)従五位下に叙爵する。この時に同じ従五位下に叙せられたものとして、山田三方・大倭五百足らがいる[2]。

『懐風藻』に「宴に侍す」という題の漢詩作品(五言排律)が1首採録されている。その目録によると「大学博士従五位下。年八十一」とあり、当時としても長寿であったことが窺われる。

脚注

  1. ↑ 『藤氏家伝』下巻
  2. ↑ 『続日本紀』和銅3年正月13日条

参考文献