晋陵郡太守の劉耽(劉宏の子)と任氏のあいだの子として生まれた。家は貧しく、母とともに京口に寓居して、芒で草鞋を編んで暮らした。人に知られることはなく、ひとり王導がかれの器量を認めていた。後に名を知られるようになり、論者に袁羊や范汪や荀粲らと比較された。明帝の娘の司馬南弟(廬陵公主)を妻に迎えた。会稽王司馬昱が輔政の地位につくと、劉惔は王濛とともに談客となり、上賓の礼を受けた。丹陽尹に累進し、在官のまま死去した。享年は36。
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