劉昞

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劉 昞(りゅう へい、? - 87年)は、後漢の皇族。淮陽頃王。

経歴

明帝の子として生まれた。72年(永平15年)、常山王に封じられた。79年(建初4年)4月[1]、淮陽王に徙封された。汝南郡の新安[2]・西華の2県が淮陽国に編入された。86年(元和3年)、章帝の北巡に従った[1]。

87年(章和元年)7月癸卯[1]、死去した。90年(永元2年)、和帝が劉昞の末子の劉側を常山王とし、劉昞の後を奉じさせた。

脚注

  1. 1 2 3 『後漢書』章帝紀
  2. ↑ 『後漢書集解』所引銭大昕によると、汝南郡に新安県はなく、「新陽」の誤りではないかという。

子女

  • 劉章(防子侯、常山靖王)
  • 劉側(末子、常山殤王)

伝記資料

  • 『後漢書』巻50 列伝第40