吉田日出男
吉田 日出男(よしだ ひでお、1912年〈明治45年〉2月6日 - 1996年〈平成8年〉4月10日)は、日本の実業家。戦後日本の流通業界において、セルフサービス方式を導入したスーパーマーケットの草分け的存在として知られる。1950年代半ばに開業した「丸和フードセンター」および後年の「主婦の店」チェーンの展開を通じて、日本の小売業の近代化に大きな影響を与えた[1]。
生涯
1912年に商家の家に生まれ、若い頃から流通や商取引の仕組みに関心を示した。戦後の混乱期において、食料品流通の効率化を模索する中で欧米の小売方式に注目し、セルフサービス方式の導入を志すようになった。
1955年頃、日本ナショナル金銭登録機(現:日本NCR)の企画部長・長戸巳氏から米国の最新小売方式に関する知識を得たことが転機となり、セルフサービス方式の導入を決意したとされる 。
丸和フードセンターの創業
1956年(昭和31年)3月、吉田は福岡県小倉に 「丸和フードセンター」 を開業した。店舗は約396㎡の規模で、ローカストオペレーション(低コスト運営)と高い販売効率を特徴とした。開業当初は苦戦したものの、徐々に売上を伸ばし、月商200万円を記録するまでに成長したとされる 。
当時の食料品小売業界には秋田の「ト一屋」や郡山の「紅丸商店」などの繁盛店が存在したが、丸和フードセンターの売上はこれらを上回る勢いを示し、地域の小売業者に強い衝撃を与えた。
「主婦の店」チェーンの形成
丸和フードセンターの成功は、全国の小売業者の注目を集めた。1957年、吉田は鳥取県米子市で開催された全国小売業経営者会議で体験談を披露し、その内容が多くの中小小売業者に影響を与えた。これを契機に、吉田は公開経営指導協会の「スーパーマーケット部会」会長に就任し、全国でセルフサービス方式の普及に努めた [2]。
同年5月には 「主婦の店 大垣店」 が開業し、以降「主婦の店」チェーンは全国に展開。1957年末には8店舗、1958年末には27店舗に達し、日本のスーパーマーケット草創期を代表するチェーンとなった。
業界への影響
吉田はセルフサービス方式の普及に加え、
- 低価格政策と高回転
- 多店舗化
- 商業施設の地方分散
- クレジット販売の導入 など、現代小売業の基礎となる概念を積極的に広めたとされる。
また、著書『スーパーの原点』では、丸和フードセンター開業時の売上推移や運営の実態を記録し、日本のスーパーマーケット黎明期の貴重な資料となっている。
晩年と評価
1996年4月10日に死去。吉田の活動は、日本の小売業が対面販売中心の時代からセルフサービス方式へ移行する過程において重要な役割を果たした。現在でも「日本のスーパー創業の父」と称されることがある。
脚注
出典
- ↑ koseki (2020年2月19日). “日本で初めてスーパーを創業した吉田日出男物語 _流通・小売業界 ニュースサイト【ダイヤモンド・チェーンストアオンライン】”. 流通・小売業界で働く人の情報サイト_ダイヤモンド・チェーンストアオンライン. 2026年10月20日閲覧。
- ↑ 日本放送協会『「スーパーマーケット」 | “すごい発明”ストーリーズ』2021年8月15日。2026年10月20日閲覧。