名取老女

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なとりろうじょ
名取老女
名取老女の碑(宮城県名取市)
職業 巫女(伝承)
著名な実績 名取熊野三社を勧請したと伝えられる
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名取老女(なとりろうじょ)は、宮城県名取市に伝わる熊野信仰の説話に登場する巫女。名取熊野三社を勧請したと伝えられる。

伝承

「名取老女」については次のような伝承がある。その昔、名取に若い頃から紀州熊野に参詣し、熱心に熊野神を信仰していた巫女がいた。年老いて直接参詣できなくなると、その代わりに付近に小さな熊野三社を建ててお参りしていた。あるとき、紀州熊野権現のお告げを受けた旅の山伏が、一葉の梛の葉を携え訪れた。この葉には虫が食ったような跡があり「道遠し歳も何時しか老いにけり、思い起こせよ我も忘れじ」という和歌が書いてあった。その和歌を旅の山伏が老女に見せたところ感激して涙を流した。これまでの老女の信心深い行いからその徳が広がり、保安年間(1120年~1124年)に今の熊野堂と吉田に熊野三社を勧請したと伝えられている[1][2]。

説話の形成

熊野神社に1505年(永正2年)に成立したとみられる熊野堂縁起(江戸中期写本)という文書があり、保安年間に名取老女によって熊野三山が勧請されたと記載されている。名取老女は熊野三山関連の記録類にその名が登場するが、出自や性別等はそれぞれ異なる記載も見受けられる。名取熊野三山の成立時期は、「熊野堂縁起」に記載された年代と概ね同じ平安時代終わりごろと考えられる[3]。

名取郡誌によると「名取の老女に関するものなどは伝説というより口碑、口碑というよりは霊異とも稱すべき」と言及されており、根拠や理由がなくこじつけである部分も多いとされている[4]。名取老女については物語や伝説はあるが、歴史的に定説とした記録は見当たらない[5]。

仙台市太白区中田七丁目にある「からすが宮」は、伝説の中で名取の老女が紀州熊野神を分霊勧請して名取に帰る際に道案内をしたカラスを祀った「烏宮」と伝えられており、伝説に直接結びついている。高舘熊野新宮の「熊野新宮縁起」には「名取の老女紀州熊野宮勧請説話」があり、「名取の老女ノ遺跡同郡前田村ニ有リ、烏の宮ト曰フ、熊野新宮之東南一里餘ニ在リ」と記録されている[5]。

藤原清輔の著した「袋草紙」や「希代歌」(1156年~1159年ごろ)には、熊野御歌として「道遠し年もやうやうおひにけり、思ひおこせよわれも忘れじ。是陸奥国より毎年熊野に参詣しける女の年老い後の夢に見し歌也」と紹介されている。また、「新古今和歌集」の「神祇歌」には「道とほしほどのはるかにへたたれり思ひおこせよ我も忘れじ」とあり、「この歌は陸奥にすみける人の、熊野へ三年まいりてと、願いをたてて侍りけるが、しみじうくるしければ、いまふたたびを、いかにせんとなげきて、御まへにふしたりけるよの、ゆめに見えけるとなん」と記されている[5]。

文芸・美術

1464年(寛正5年)、音阿弥によって能「名取の老女」が上演されたとされている。この「名取の老女」は、熊野神詠歌を題材として世阿弥が作ったとされる能『護法』をもとにした曲であるが、原曲の『護法』は現在では廃曲となっている[6]。

『名取老女』『名取嫗』『名取ノ老女』はいずれも、『護法』の別名である[7][8]。

1993年(平成5年)1月の「梅若六郎の会」において、堂本正樹の台本・演出により四世梅若正実が復曲上演を行った[8]。2016年(平成28年)3月、国立能楽堂で小田幸子・小林健二の監修・演出で『名取ノ老女』が復曲され、台本には新たに名取の地名などが盛り込まれた[8]。その後、8回の上演が行われた[9][10]。2026年(令和8年)3月には、国立能楽堂企画公演「東日本大震災15年<復興と文化>」において、『名取ノ老女』が上演された[11][12]。

史跡

名取老女の宮

名取老女の宮(名取市高館熊野道・熊野神社内)

名取市高舘熊野堂の熊野神社の本殿西に「老女の宮」と呼ばれる建物がある[13]。旧熊野堂村の封内風土記によれば、老女夫妻が熊野参詣にあたって金注連を懸けたとされており、神社の中には現在も金注連が一対保存されている[14]。

老女神社古跡

老女神社古跡は、現在の宮城県仙台市太白区中田に存在する古跡[15]。付近には、老女が熊野三社を勧請したときに先導した八咫烏を祀った「烏の宮」(「からす宮」とも)があり、後世の人々が名取老女を「老女神社」として祭祀していた[16]が、1909年(明治42年)に中田村神社(現在の中田神社)に合祀された[15]。以降この地には石碑が残されている[17]。

名取老女の碑(墓)

名取老女の墓(名取市下余田)

「名取老女の碑(墓)」は、名取市下余田に所在する、老女の徳を偲んだ地域の人々によって建立された碑である[18]。1811年(文化8年)建立[18]。

脚注

注釈

出典

  1. ↑ 名取市史編纂委員会『名取市史』宮城県名取市、1977年3月、189頁。
  2. ↑ 『名取の文化財ハンドブック』名取市教育委員会、2001年3月31日、28頁。
  3. ↑ 名取市教育委員会 (2014-3). 名取熊野三山-熊野信仰とその歴史遺産-. p. 2
  4. ↑ 名取教育会 (1987-5-10). 名取郡誌. 臨川書店. pp. 694-695. ISBN 4653015511
  5. 1 2 3 氏家重男 (1999-7-1). なとりの伝説と造物. 名取郷土史研究会ふれあい. pp. 26-35
  6. ↑ 川村善次郎「名取老女考(その一)熊野神詠歌を中心として」『郷土なとり』創刊号、名取市郷土史研究会、1986年6月5日、7頁。
  7. ↑ 西野春雄、羽田昶 編『能・狂言事典』(新版)平凡社、2011年1月25日、65頁。ISBN 9784582126419。
  8. 1 2 3 金子直樹『能鑑賞二百六十一番 : 現行謡曲解題』淡交社、2018年5月12日、143頁。ISBN 9784473042484。
  9. ↑ 武田, 実沙子 (2026年3月3日). “被災地に思い穏やかに舞う 復曲能「名取ノ老女」 武田孝史”. 読売新聞 (夕刊 ed.). p. 7.
  10. ↑ “第23回地域伝統芸能まつり”. 一般財団法人 地域創造. 2026年10月18日閲覧。
  11. ↑ 井関俊介 (2026年1月28日). “時を越えて感動をつなぐ舞台(ようこそ劇場へ 139)”. 文化庁広報誌 ぶんかる. 文化庁. 2026年10月18日閲覧。
  12. ↑ “(評・舞台)国立能楽堂「鷺」「名取ノ老女」 東北の神人和合、風格の復曲:朝日新聞”. 朝日新聞 (2026年4月2日). 2026年10月18日閲覧。
  13. ↑ 東北歴史資料館『名取の里 : 熊野信仰と一切経』東北歴史資料館、1980年9月16日、24頁。
  14. ↑ 東北歴史資料館『名取新宮寺一切経調査報告書 (東北歴史資料館資料;2)』東北歴史資料館、1980年3月31日、478頁。
  15. 1 2 名取市教育委員会『名取熊野三山 -熊野信仰ととその歴史遺産-』名取市教育委員会、2014年3月、2頁。
  16. ↑ 名取市郷土史研究会 編『名取の昔話』名取市郷土史研究会、2007年3月1日、6頁。
  17. ↑ 仙台市史編さん委員会 編『仙台市史 特別編 5 (板碑)』仙台市、1998年3月31日、406頁。
  18. 1 2 “名取老女の墓(碑)”. 名取市歴史民俗資料館. 2026年10月12日閲覧。