名古屋劇場
| 名古屋劇場 | |
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1956年4月の名古屋劇場 | |
| 情報 | |
| 開館 | 1947年7月17日 |
| 閉館 | 1972年6月18日 |
| 最終公演 | 『無宿人御子神の丈吉 影狩り』 |
| 客席数 | 517席 |
| 用途 | 映画上映 |
| 運営 | 中部共栄興行 |
| 所在地 | 愛知県名古屋市中区裏門前町1-52 |
名古屋劇場(なごやげきじょう)は、かつて愛知県名古屋市中区裏門前町1-52(現・大須3丁目)にあった映画館。1934年(昭和9年)6月1日に新天地通に開館した。戦後に再建されて1947年(昭和22年)7月17日に再開館し、1972年(昭和47年)6月19日に火災で焼失するまで営業した。
歴史
戦前の歴史

1934年(昭和9年)6月1日、高瀬兼次郎によって大須の新天地通に名古屋劇場が開館した[1]。吉本興業による実演の興行も多く[2]、吉本興業にとっての名古屋初の直営館とされることもある[3]。高瀬兼次郎は大須の七寺近くの歌舞伎座なども経営していた[4]。
戦後の歴史

1945年(昭和20年)3月の名古屋大空襲で焼失したが[5]、再建して1947年(昭和22年)7月17日に開館した[6][7]。1958年(昭和33年)6月10日には万松寺松竹劇場に改称した[8]。1961年(昭和36年)4月3日には万松寺松竹劇場から東宝名古屋劇場に改称した[9]。
1960年代の新天地通の東側には、南から万松寺日活、(婦人服のミユキを挟んで)名古屋劇場、大須大映、日活シネマの4映画館が並んでいた。1972年(昭和47年)6月18日の上映作品は『無宿人御子神の丈吉 影狩り』[10]。6月19日には火災で焼失した[11]。
閉館後
名古屋劇場の経営者だった高瀬泰昌は、1977年(昭和52年)に跡地にラジオセンター・アメ横共同ビル(後の第1アメ横ビル)を開館させた[7]。
- 第1アメ横ビル
脚注
- ↑ 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年、pp.88-94
- ↑ 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年、pp.409-413
- ↑ 沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第3講 矢場地蔵から隠れ里 第5回「新天地」 Newtork2010
- ↑ 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年、pp.483-487
- ↑ 「なごや街角50年 地域の戦後 大須(中)熱気読んだ映画の黄金期」『中日新聞』1995年11月6日
- ↑ 「広告」『名古屋タイムズ』1947年7月17日
- 1 2 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、p.126
- ↑ 「映画館」『キネマ旬報』1958年7月1日、208号
- ↑ 「映画館ニュース」『キネマ旬報』1961年5月1日、第284号
- ↑ 「映画上映案内」『名古屋タイムズ』1972年6月18日
- ↑ 「終夜興行の映画館焼く」『中日新聞』1972年6月19日
参考文献
- 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年
- 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年
関連項目
- 新守座 - 名古屋市中区桶屋町にあった芝居小屋。1934年(昭和9年)5月1日から8月までの短期間のみ名古屋劇場という名称だった。同年6月から8月には桶屋町と裏門前町に同名の名古屋劇場が並列していた。
座標: 北緯35度09分35.1秒 東経136度54分18.8秒 / 北緯35.159750度 東経136.905222度