四辻公行
| 時代 | 鎌倉時代中期-後期 |
|---|---|
| 生誕 | 寛元2年(1244年) |
| 死没 | 正和元年(1312年)以降 |
| 官位 | 従二位、左近衛中将 |
| 主君 | 後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇 |
| 氏族 | 四辻家 |
| 父母 | 父:四辻実藤、母:中原師朝の娘 |
| 兄弟 | 公行、公重、実為、公具、公有、公信、公秋、良円、守誉、有助、良誉、藤原公持室、六条有房室 |
| 妻 | 藤原済家の娘 |
| 子 | 季行 |
四辻 公行(よつつじ きんゆき、寛元2年〈1244年〉 - 正和元年〈1312年〉以降)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。権大納言・四辻実藤の長男。官位は従二位・左近衛中将。
経歴
母親の出自が低いためか、異母弟の公重[注釈 1]より昇進は遅く、36歳でようやく従三位に昇った[1]。その後は散位止まりで任官とは縁がなく、永仁元年(1293年)出家。その後の消息は不明だが、正和元年(1312年)までは生存していたと考えられる[2]。
官歴
『公卿補任』による
- 建長3年(1251年) 10月24日:叙爵(従五位下)
- 建長6年(1254年) 閏5月15日:侍従
- 康元元年(1256年) 正月6日:従五位上
- 正元元年(1259年) 12月25日:正五位下(新院御給)
- 弘長3年(1263年) 正月6日:従四位下(中宮当年御給)
- 文永2年(1265年) 10月22日:左近衛少将
- 文永3年(1266年) 2月1日:兼武蔵権介
- 文永5年(1268年) 正月5日:従四位上。11月9日:左近衛中将
- 文永7年(1270年) 正月21日:備後権介。12月4日:正四位下
- 弘安元年(1278年) 9月23日:従三位(元左中将)
- 弘安7年(1284年) 5月6日:正三位
- 正応5年(1292年) 8月14日:従二位
- 永仁元年(1293年) 某月某日:出家
- 正和元年(1312年) 某月某日:見入道
系譜
『公卿補任』による
脚注
注釈
出典
参考文献
- 山田教雄『伊勢の智積郷 様相と史料』三重県郷土資料刊行会〈三重県郷土資料叢書第九〇集〉、1983年。doi:10.11501/9539156。全国書誌番号:84000287。