国府谷盛純

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
国府谷盛純
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年(1728年)6月14日
死没 天明3年(1783年)7月13日
官位 正六位下、壱岐守
幕府 江戸幕府
氏族 徳大寺家庶流国府谷氏
父母 徳大寺盛栄
テンプレートを表示

国府谷 盛純(こうのだに もりすみ)は、江戸時代の武士。徳大寺家出身。有栖川宮の諸大夫[1]。

出自

『地下家伝』によると、徳大寺公胤には実胤という子がおり、その子・実治の5代孫が盛純の父である盛栄にあたるという[1]。

概要

享保13年(1728年)6月14日に生まれた。明和6年(1769年)5月2日には侍として従六位下・右兵衛少尉に叙任された。翌年には辞官し位記を返上した上で、正六位下・壱岐守に叙任された。天明3年(1783年)7月13日に54歳で死去した[1]。

脚注

  1. 1 2 3 三上景文『地下家伝 第21-26 (日本古典全集 ; 第6期)』(日本古典全集刊行会、1938年)

関連項目