夏目匀
夏目 匀(読み不明、嘉永2年(1849年)12月ごろ[1] - 不明)は、明治草創期の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。功三級。夏目匂との表記も見られる。
経歴
和歌山県士族。少尉任官後、東京の歩兵第22大隊(長・葛城義方少佐)に配属される。小倉歩兵第14連隊への合併を控えていた時、江華島事件の終結を不服とする都筑正順大尉ら中隊長4名の編入拒否騒動に西島助義・宇佐川一正少尉とともに連座し、閉門35日の謹慎処分を受ける(のち、処分決定前に西南戦争での功績により謹慎一週間に減刑[2])。西南戦争では歩兵第13連隊に転じ、第1大隊第4中隊第3小隊長として千葉城方面に展開し熊本城籠城戦を戦いぬく[3]。5月27日、中尉[4]。のち第1中隊に転じ終戦を迎えた[5]。
戦後は引き続き歩兵第13連隊に属し第1大隊第4、第3、第1中隊長を経て[6][7]、歩兵第8連隊第1大隊第1中隊長に転ずる[8]。1885年(明治18年)9月10日、元部下の麻田留次郎に短銃で襲撃され重傷を負う[9]。歩兵第9連隊第3大隊中隊長(滋賀駐在)、歩兵第8連隊第2大隊長を経て、1901年(明治34年)1月に少佐で後備役に編入される。日露戦争では後備歩兵第8連隊第2中隊長として従軍し[10]、戦後中佐、功三級に叙せられる。
栄典
- 位階
- 勲章等
| 受章年 | 略綬 | 勲章名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1906年(明治39年)4月1日 | 勲三等旭日中綬章[13] | ||
| 1906年(明治39年)4月1日 | 功三級金鵄勲章[13] | ||
| 1906年(明治39年)4月1日 | 明治三十七八年従軍記章[13] |
脚注
- ↑ 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿 明治35年7月1日調査p315
- ↑ 陸軍佐尉官以下犯罪西南ノ役従軍戦功ニ依リ減等或ハ免罪・二十余条 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ↑ 鹿児島県維新史料編さん所 編『鹿児島県史料』 西南戦争 第1巻、鹿児島県、1978年1月、333頁。
- ↑ 北川舜治 編『明治新史』7,積玉圃,明9-10p48
- ↑ 「10年10月調 熊本鎮台諸隊人名表」 アジア歴史資料センター Ref.C09080692400
- ↑ 改正官員録 明治16年1月
- ↑ 『歩兵第十三聯隊史』帝国聯隊史刊行会、1923年、8頁。
- ↑ 彦根正三 編『改正官員録』明治19年上2月,博公書院,明17-26
- ↑ 大植四郎 編『明治過去帳 : 物故人名辞典新訂』東京美術、1988年11月、209頁。
- ↑ 「明治37年度 第4師団動員計画後備隊兵站司令部補助輸卒隊将校同相当官職員表」 アジア歴史資料センター Ref.C14010785400
- ↑ 原敬文書研究会 編『原敬関係文書』 第2巻 (書翰篇 2)、日本放送出版協会、1984年10月、467頁。
- ↑ 『官報』第5406号「叙任及辞令」1901年7月11日。p201
- 1 2 3 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月8日。p3