多功大塚山古墳
| 多功大塚山古墳 | |
|---|---|
|
墳丘 | |
| 別名 | 多功1号墳 |
| 所属 | しもつけ古墳群(石橋・薬師寺地域) |
| 所在地 | 栃木県河内郡上三川町多功(字南原) |
| 位置 | 北緯36度25分16.42秒 東経139度52分15.73秒 / 北緯36.4212278度 東経139.8710361度座標: 北緯36度25分16.42秒 東経139度52分15.73秒 / 北緯36.4212278度 東経139.8710361度 |
| 形状 | 方墳 |
| 規模 | 一辺53.8m |
| 埋葬施設 | (推定)横口式石槨 |
| 出土品 | 鉄釘・須恵器・土師器 |
| 築造時期 | 7世紀後半(または7世紀中葉) |
| 史跡 | 上三川町指定史跡「多功大塚山古墳」 |
| 地図 | |
多功大塚山古墳(たこうおおつかやまこふん)は、栃木県河内郡上三川町多功にある古墳。形状は方墳。しもつけ古墳群(うち石橋・薬師寺地域)を構成する古墳の1つ。上三川町指定史跡に指定されている。
概要
| 古墳名 | 墳丘 | 築造時期 | 史跡指定 | |
|---|---|---|---|---|
| 横塚古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長52m | 6c後半 | 消滅 |
| 御鷲山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長83m | 6c後半 | なし |
| 下石橋愛宕塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 墳丘長84m | 6c末 | 消滅 |
| 多功大塚山古墳 | 方墳 | 一辺54m | 7c後半 | 町史跡 |
栃木県南部、姿川と田川に挟まれた台地上に築造された大型方墳である。盗掘に遭って大きく破壊されているほか、1992年(平成4年)に発掘調査が実施されている。
墳形は方形で、一辺53.8メートルを測り(周溝内縁)、方墳としては栃木県内で最大級の規模になる[1](調査以前は円墳とされた)。墳丘周囲には周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全体としては一辺64.3メートルを測る[1]。埋葬施設は盗掘の破壊が著しく詳らかでないが、横口式石槨とみられる[2]。凝灰岩の小型切石を組み合わせて構築され、木棺に使用したとみられる鉄釘が出土したほか[2]、石室前の前庭部には川原石を敷く[1]。副葬品は詳らかでないが、調査では須恵器(長頸壺・大甕)・土師器(坏)が出土している。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半[1](または7世紀中葉[2])頃と推定される。かつて下野地方の終末期古墳は円墳のみ(壬生町車塚古墳・下野市丸塚古墳など)で方墳はないと考えられたが、本古墳が方墳と確認されたことで当地方の古墳時代社会のあり方に再考を促すこととなり[3]、県内最大規模の終末期の方墳として畿内ヤマト王権とのつながりおよび下野薬師寺や上神主・茂原官衙遺跡との関係が注目される[1]。
古墳域は1998年(平成10年)に上三川町指定史跡に指定されている。
- 出土品
栃木県立博物館展示。 - 須恵器 長頸壺
遺跡歴
文化財
上三川町指定文化財
- 史跡
- 多功大塚山古墳 - 1998年(平成10年)7月27日指定。
関連施設
- 栃木県立博物館(宇都宮市睦町) - 多功大塚山古墳の出土品を展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(上三川町教育委員会、2026年設置)
- 橋本澄朗「大塚山古墳 > 多功大塚山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 「郷土かみのかわの歴史・文化財 多功大塚山古墳 (PDF)」『広報かみのかわ』平成24年3月号、上三川町役場、2012年。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 「大塚山古墳」『上三川町史』 資料編 原始・古代・中世、上三川町、1979年。
- 『上神主浅間神社古墳・多功大塚山古墳』上三川町教育委員会〈上三川町埋蔵文化財調査報告第12集〉、1994年。
外部リンク
- 多功大塚山古墳 - 上三川町ホームページ
