学校報国団

ウィキペディアから、無料の百科事典

学校報国団(がっこうほうこくだん)または学校報国隊(がっこうほうこくたい)とは、1940年(昭和15年)9月から1941年(昭和16年)8月にかけての日本において、文部省の指示により、従来の学生会を廃止、改組して結成された、皇国民錬成のための学生修練組織である[1][2][3][4]。太平洋戦争終結後に廃止された。

概要

組織の構造と学生自治の廃止

学校報国団の結成に伴い、それまで多くの学校で認められていた学生会や校友会といった学生の自治組織は解体された。役員の学生選挙による選出などの自治運営は実質的に廃止され、学校長(または院長)が団長や隊長を兼任する強固な統制組織へと移行した。副団長や部長、班長といった組織の要職には教職員が任命され、学生の役割は教職員の指揮下に置かれる幹事などに制限された。これにより、学校全体に上意下達のピラミッド型指揮系統が確立された[1]。

内部組織と訓練内容

校内の組織は、従来の学術的な学会や文化・体育系のクラブ活動が強制的に解体、あるいは統合される形で再編され、総務、鍛錬、国防、文化、厚生といった戦時体制に対応する各部が設置された[1]。

さらに、戦局の悪化に伴い「有事即応」の国土防衛態勢を整えることが求められ、教育の軍事化が加速した。具体的には、銃剣術や射撃といった直接的な戦闘訓練に加え、馬術、自動車の運転、無線電信、飛行・滑空(グライダー訓練)など、軍事や戦技に直結する特技訓練の部門が大幅に強化された[1]。

沿革

  • 1940年(昭和15年)9月 - 文部省による指令要綱に基づき、全国の学校で従来の学生会や校友会が解体され、「学校報国団」への改組が始まる[1]。
  • 1941年(昭和16年)8月 - 文部省訓令第27号「学校報国隊組織ニ関スル件」が発令。日米開戦を前に、報国団の内部に軍隊式の指揮系統を持つ実働部隊「学校報国隊」が編制される[1]。
  • 1943年(昭和18年)6月 - 内閣において「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定。学徒の「有事即応ノ態勢」と勤労動員の強化が打ち出され、戦技訓練や防空訓練が実施される[1]。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 決戦体制に基づき、国民学校初等科(小学校)を除いて原則としてすべての授業が全面的に停止され(戦時教育令)、通年での動員体制となった[1]。
  • 1945年(昭和20年)11月 - 終戦に伴い、一連の学校報国団・学校報国隊組織は解散となる[1]。

脚注

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 学院史編纂室 (2014年9月28日). “報国団・報国隊”. 関西学院事典(増補改訂版). 学校法人関西学院. 2026年10月17日閲覧。
  2. ↑ 学制百年史編集委員会. “三 戦時教育体制の進行”. 学制百年史. 文部科学省. 2026年10月17日閲覧。
  3. ↑ “学徒動員がはじまった”. バーチャルミュージアム. 広島平和記念資料館. 2026年10月17日閲覧。
  4. ↑ 山本哲生 (1983). “戦時下の学校報国団設置に関する考察”. 教育学雑誌 (日本大学教育学会) 17: 78-90 2026年10月17日閲覧。.

関連項目