安倍清成

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
安倍清成
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:阿倍、名:浄成
官位 正五位上員外右中弁
主君 称徳天皇→光仁天皇
氏族 安倍氏
父母 父:阿倍豊継
兄弟 清成、清継
テンプレートを表示

安倍 清成(あべ の きよなり)は、奈良時代の貴族。氏は阿倍、名は浄成とも記される。従四位下・阿倍安麻呂の孫で、従五位下・阿倍豊継の子とする系図がある[1]。官位は正五位上・員外右中弁。

経歴

天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に行われた叙位にて従五位下に叙爵。称徳朝では鋳銭長官・右中弁・造宮大輔といった京官を歴任し、神護景雲2年(768年)鋳銭長官として公務に精励していることを賞せられて、次官・多治比乙安とともに昇叙され、清成は従五位上に叙せられている。

宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴って正五位下・員外右中弁に叙任され、宝亀3年(772年)美作守を兼ねた。

官歴

『続日本紀』による。

脚注

  1. ↑ 宝賀[1986: 374]

出典