小原文平

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小原 文平(おはら ぶんぺい)
渾名 「鬼小原」
生誕 1854年
江戸幕府・陸奥国
死没 1905年1月26日
清の旗 清盛京省老橋
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1872? - 1905
最終階級 陸軍大佐
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小原 文平(おはら ぶんぺい、安政元年(1854年) - 1905年(明治38年)1月26日)は、幕末の仙台藩士、明治時代の陸軍軍人。西南戦争以降、主要な戦役への従軍を通して下士官より佐官へと累進し、黒溝台会戦において戦死。死後、陸軍中佐より大佐に一階級特進。従五位勲三等功四級追贈。

生涯

仙台藩士小原良吉・はる子の長男。戊辰戦争後、仙台藩楽兵隊鼓手を務めた。仙台鎮台の成立後陸軍に入り、西南戦争に伍長として従軍。戦後、曹長、歩兵第4連隊第2大隊下副官[1]。1883年(明治16年)10月に少尉任官後、金沢歩兵第7連隊にて第4代連隊旗手を拝命[2]。のち広島歩兵第9旅団(長:大沼渉少将)伝令使に転じ[3]、中尉昇進後、同副官[4]。

陸軍大尉昇進後に歩兵第11連隊副官となり、日清戦争では東路独立支隊を指揮[5]。北清事変には第5師団高級副官として参加。

日露戦争に後備歩兵第31連隊長として従軍し、黒溝台会戦において依田旅団の最右翼を担当。1905年(明治38年)1月26日、盛京省老橋北西付近にて敵弾が咽喉を貫通し、数時間後に死亡した。享年52。同日戦死した部下の木村伊太郎大尉、師岡文三郎大尉とともに死後一階級特進[6]、合わせて従五位勲三等功四級に叙せられた。

年譜

  • 1880年(明治13年)6月2日:歩兵第4連隊第2大隊下副官(曹長)[7]
  • 1883年(明治16年)
    • 10月20日:歩兵第7連隊第1大隊小隊長(少尉試補)[8]
    • 10月24日:少尉任官[9]
  • 1884年(明治17年)9月12日:歩兵第7連隊旗手[10]
  • 1887年(明治20年)4月27日:中尉[11]
  • 1888年(明治21年)5月22日:歩兵第9旅団副官[12]
  • 1892年(明治25年)12月20日:大尉
  • 1897年(明治30年)10月11日:少佐
  • 1903年(明治36年)6月25日:中佐、歩兵第31連隊附[13]

栄典

位階
  • 1883年(明治16年)12月8日:正八位[14]
  • 1902年(明治35年)12月24日:正六位[15]
  • 1905年(明治38年)1月26日:従五位(追贈)[16]
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1889年(明治22年)11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[17]
1892年(明治25年)5月28日 勲六等瑞宝章[18]
1901年(明治34年)10月1日 勲四等旭日小綬章[19] 金900円
1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章[20]
1905年(明治38年)1月26日 勲三等旭日中綬章[21] 追贈
1905年(明治38年)1月26日 功四級金鵄勲章[21] 年金500円追贈
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[22] 追贈
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1902年(明治35年)1月17日 フランス領インドシナ連邦の旗 フランス領インドシナ 旌能龍星(フランス語版)[23]
1902年(明治35年)5月8日 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 聖スタニスラフ剣付第二等勲章(英語版)[24]
1904年(明治37年)1月14日 イタリア王国の旗 イタリア王国 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章ウッフィチャーレ[25]

脚注

  1. ↑ 大崎善四郎 編『明治官員録』明治13年8月,矢島百太郎,明13p104
  2. ↑ 『金城聯隊史』歩七戦友会、1969年、39頁。
  3. ↑ 彦根正三 編『改正官員録』 上、博公書院、1886年、121頁。
  4. ↑ 職員録 明治21年現在(甲)
  5. ↑ “(7) 豊島沖ノ海戰及朝鮮政府ノ依賴ニ應シ在牙山淸兵ノ驅逐幷日淸兩國宣戰ノ詔勅公布ノ事”. 韓国史データベース. 2026年10月1日閲覧。
  6. ↑ 陸軍歩兵中佐小原文平以下二十七名任官ノ件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
  7. ↑ 「下副官被申付度義に付伺」 アジア歴史資料センター Ref.C10072500700 
  8. ↑ 「参進第436号」 アジア歴史資料センター Ref.C07081019000 
  9. ↑ 『官報』129号「叙任」1883年12月1日。p2
  10. ↑ 「12 進1355 竹藤歩兵少尉外1名補職の儀に尽き申進」 アジア歴史資料センター Ref.C08052971600 
  11. ↑ 『官報』1146号「叙任及辞令」1887年5月2日。p2
  12. ↑ 『官報』1470号「叙任及辞令」1888年5月2日。p284
  13. ↑ 『官報』5994号「叙任及辞令」1903年06月26日。p450-451
  14. ↑ 『官報』176号「叙任」1884年2月2日。p2
  15. ↑ 『官報』5845号「叙任及辞令」1902年12月25日。p545
  16. ↑ 『官報』7094号「叙任及辞令」1907年2月25日。p668
  17. ↑ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。p6
  18. ↑ 『官報』2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。p6
  19. ↑ 『官報』第5487号「叙任及辞令」1901年10月15日。p323
  20. ↑ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  21. 1 2 『官報』第6503号「叙任及辞令」1905年3月28日。p233,236
  22. ↑ 『官報』7373号・付録「辞令」1908年1月27日。p12
  23. ↑ 『官報』第5565号「敍任及辭令」1902年1月24日。p292
  24. ↑ 『官報』第5656号「叙任及辞令」1902年5月15日。p298
  25. ↑ 「陸軍歩兵中佐小原文平以下九名外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112587200 

参考文献