小暮英三郎

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小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、1843年(天保14年9月[1][2]) - 1926年(大正15年)1月24日[2])は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。号・梅園[3][4]。

経歴

小暮清之、房子の長男として上野国佐位郡太田村(佐波郡三郷村を経て現伊勢崎市)に生まれる[1]。矢野正任、市川左近に儒学を、尾高高雅、海上胤平に国学を学ぶ[5]。1871年(明治4年)旧伊勢崎藩主の酒井忠彰により副戸長を、同年8月には伊勢崎県庁より太田村正心学校頭取を命じられた[6]。1874年(明治7年)伊勢崎町製糸共研究会頭取となり、訓導を経て[6]、群馬県会議員、所得税調査委員、三郷村長などを歴任した[2]。ほか、伊勢崎銀行頭取を務めた[2]。和歌を能くし万葉集の研究をした[7]。

1897年(明治30年)群馬県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年1月29日[8]から同年9月28日まで在任した[2]。

伊勢崎で織物買継業を経営したが不況のため引退し、その後、福島県相馬郡松ヶ江村(現相馬市)に隠棲し、和歌などを楽しみながら余生を送った[3][4]。

脚注

  1. 1 2 山中 1890, 18頁.
  2. 1 2 3 4 5 衆議院、参議院 編 1960, 191頁.
  3. 1 2 『群馬県百科事典』376頁。
  4. 1 2 『群馬県人名大事典』195頁。
  5. ↑ 山中 1890, 19頁.
  6. 1 2 山中 1890, 20頁.
  7. ↑ 竹内ほか 1994, 236頁.
  8. ↑ 『官報』第4074号、明治30年2月1日。

参考文献

  • 山中啓一『群馬県貴族院多額納税者列伝』山中啓一、1890年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777709。 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963。 
  • 『群馬県百科事典』上毛新聞社、1979年。
  • 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
  • 竹内理三ほか 編纂『群馬県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典10、角川書店、1994年。ISBN 4040021002。