小波蔵政光
小波蔵 政光(こはくら せいこう、1911年1月18日 - 1994年4月12日)は、日本の経営者、銀行家。沖縄銀行頭取を務めた。
経歴
沖縄県那覇市出身[1]。1934年に広島高等師範学校文学部英語学科を卒業し、沖縄県立宮古中学校、沖縄県立第二中学校で教諭として勤務[1][2]。徴兵を経て、1946年11月に沖縄民政府文教部学務課に赴任し、1950年11月に沖縄群島政府文教部学務課長、1953年4月に琉球政府文教局次長、1958年4月に文教局長、1961年11月に計画局長を歴任し、戦後の沖縄において、教育振興に尽力した[1][2]。また、教育関係の法体系の確立、国費留学生度及び育英会の設立の参画などにも携わり、沖縄の教育の基礎を築き上げた[2]。1967年7月から1968年5月までに大衆金融公庫総裁を務め、1968年5月から1972年4月までに沖縄銀行頭取を務めた[1][2]。沖縄銀行では、1971年10月に南陽相互銀行との合併を実現させた[3]。1973年には沖縄国際大学理事に就任[1]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。
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