小船幸次郎

小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年〈明治40年〉4月4日[1] - 1982年〈昭和57年〉2月17日[1])は、日本の作曲家、指揮者。
来歴
横浜市生まれ[1]。出生時の名は幸太郎[1]。父が横浜の羽衣座という演芸場に関係していたので、幼時は日本音楽と演劇が身近な環境に育った[1]。指揮法は15歳の頃から独学で学んだ[1]。1925年、日本楽器に入社し[1]、1927年頃から浅野六之輔の指導を受けた[1]。
1929年、横浜マンドリン倶楽部で指揮者となるが、1932年に八十島外衛らと退団する[1]。同年12月、横浜交響楽団の旗揚げに踏み切った[1]。1936年、日本現代作曲家連盟に加入し、アレクサンドル・チェレプニンに指導を作曲指導を受けた[1]。1937年には、ローゼンシュトックに師事した[1]。
1937年、第6回毎日音楽コンクールで《序曲第1番》が第1位入選[1]。1938年、新響第2回邦人作品コンクールで《祭りの頃》が入選[1]、日本放送協会募集管弦楽に《組曲第1番》が入選した。1939年には《弦楽四重奏曲第1番》(1936年)が第17回国際現代音楽祭に入選し[1]、ポーランドで行われた音楽祭で演奏された。
同年、日伊協会に選ばれてイタリアへ留学し[2]、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入学し[1]、指揮法をモリナーリについて学ぶ[1]。また、ポーランドのワルシャワでワルシャワ交響楽団、またローマ放送局、ヘルシンキ放送局の交響楽団を指揮して、現代日本の管弦楽曲の紹介演奏を行った[1]。ヨーロッパ滞在中はマリピエロやシベリウスとも交流した[1]。帰国後、新交響楽団を中心に指揮者として活躍した[1]。1943年、新交響楽団の招聘によって、満州国の新京交響楽団の指揮者に迎えられた[1]。
1946年、新作曲派協会を結成するも、後に退団する[1]。その後は、横浜交響楽団の指揮者および横浜国立大学講師、PL学園女子短期大学教授を務めた。1953年、神奈川文化賞を受賞[1]。1966年、横浜文化賞を受賞[1]。1978年、文化庁表彰[1]。1979年、警察功労賞および勲五等双旭日賞を受けた[1]。
1982年2月17日、心不全のため、死去[1]。
夫人・照子(旧姓:北澤)がギター奏者であった関係から、《ソナチネ》などのギター独奏曲を作曲し、1959年からは東京ギターアカデミーを主宰した。《演奏者のためのギター和声学》(1965年、全音楽譜出版社)、《ギターの楽典》(1969年、全音楽譜出版社)、《ギターをひきながら学ぶ和声学》(1974年、音楽之友社)の著書がある。