山内豊興
| 時代 | 江戸時代後期 |
|---|---|
| 生誕 | 寛政5年5月16日(1793年6月24日) |
| 死没 | 文化6年3月19日(1809年5月3日) |
| 戒名 | 寛邦院泰運源心 |
| 墓所 | 土佐藩主山内家墓所(高知県高知市筆山町)[1] |
| 官位 | 従五位下土佐守、侍従 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川家斉 |
| 藩 | 土佐藩主 |
| 氏族 | 山内氏 |
| 父母 | 山内豊策、児玉氏 |
| 兄弟 |
豊興、豊資、豊道、豊著、黒田長元、 豊栄、厚、眉寿、孝、徳、兎見ら8男7女 |
| 子 | 豊資(養嗣子) |
略歴
10代藩主・山内豊策の長男として誕生。
文化5年(1808年)2月5日、父の隠居により家督を継ぐ。しかし翌文化6年(1809年)3月19日に17歳で早世した。嗣子がなく、跡を異母弟の豊資が継いだ。法号は寛邦院泰運源心。
系譜
脚注
- 1 2 “国史跡土佐藩主山内家墓所整備事業概要(令和2・3年度)”. 公益財団法人土佐山内記念財団. 2025年2月6日閲覧。
- ↑ “山内家墓所”. 高知県立高知城歴史博物館. 2025年2月6日閲覧。