山階宮菊麿王

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山階宮菊麿王
梨本宮家 → 山階宮家
続柄

宮号 梨本宮 → 山階宮
身位 王
敬称 殿下
出生 1873年7月3日
日本における郵船商船規則の旗 日本・京都府上京第二十二区東桜町(現:京都市上京区)
死去 (1908-05-02) 1908年5月2日(34歳没)
大日本帝国の旗 日本・東京府東京市麹町区富士見町(現:東京都千代田区富士見)
埋葬 1908年5月7日
豊島岡御陵
配偶者 九条範子(先妻)
  島津常子(後妻)
子女 武彦王
芳麿王
安子女王
藤麿王
萩麿王
茂麿王
父親 山階宮晃親王
梨本宮守脩親王(養父)
母親 中条千枝子
栄典 大勲位菊花大綬章
勲一等旭日桐花大綬章
功四級金鵄勲章
役職 貴族院皇族議員
軍歴
階級 海軍大佐
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山階宮菊麿王(やましなのみや きくまろおう、1873年〈明治6年〉7月3日 - 1908年〈明治41年〉5月2日)は、日本の皇族。海軍軍人。山階宮晃親王の第一王子。母は家女房中条千枝子。官位は海軍大佐大勲位功四級。

経歴

1874年(明治7年)4月22日、1歳を目前に梨本宮守脩親王養子となり、1881年(明治14年)10月20日には後を継ぎ梨本宮第二代となる。当初実家である山階宮は叔父にあたる定麿王(父の末弟)が継承することになっていたが、王が父と定麿王の間の兄弟の一人である小松宮彰仁親王の養子に転じ依仁を名乗ったことから、1885年(明治18年)12月2日には山階宮に復籍し晃親王の継嗣となる。梨本宮は従兄弟にあたる守正王が継承した。

海軍に入り「磐手」、「八雲」の分隊長を務めた。1908年(明治41年)5月2日、薨去。同日付で中佐から進級し大佐となった。また、気象学を研究し、自弁で観測所を建設するほどであった。菊麿王が建設した観測所は、気象庁を経て筑波大学と筑波山神社が共同管理する筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所となっている[1]。

血縁

菊麿王は公爵九条道孝の娘・範子を妃としたが、彼女が1901年(明治34年)に薨去すると、後に島津忠義の娘常子と再婚する。範子妃との間には二男一女がおり、常子妃との間に三男。第一王子武彦王は山階宮を継承し、第二王子芳麿王、第三王子藤麿王、第四王子萩麿王、第五王子茂麿王はそれぞれ山階・筑波・鹿島・葛城の姓を賜り臣籍降下した。また、王女の安子女王は侯爵浅野長武に降嫁する。

年表

栄典

勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1893年(明治26年)11月3日 勲一等旭日桐花大綬章[5]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[6]
1895年(明治28年)11月20日 功五級金鵄勲章[7]
1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章[8]
1903年(明治36年)11月3日 大勲位菊花大綬章[9]
1906年(明治39年)4月1日 功四級金鵄勲章[10]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[10]
外国勲章
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1894年(明治27年)12月18日 ドイツの旗 ドイツ帝国 王冠一等勲章(英語版)[11]

脚注

  1. ↑ 上野ほか(2006):276ページ
  2. ↑ 『官報』第728号「宮廷録事」1885年12月3日。
  3. ↑ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』3頁。
  4. ↑ 筑波町史編纂専門委員会 編(1990):253ページ
  5. ↑ 『官報』第3106号「叙任及辞令」1893年11月4日。
  6. ↑ 『官報』第3814号「叙任及辞令」1896年3月19日。
  7. ↑ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  8. ↑ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  9. ↑ 『官報』第6103号「叙任及辞令」1903年11月4日。
  10. 1 2 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  11. ↑ 刑部芳則『明治時代の勲章外交儀礼』明治聖徳記念学会紀要、2017年、23頁。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 上野健一・林陽生・辻村真貴・寄崎哲弘(2006)"筑波山頂における自動気象観測の復活"大会講演予講集(日本気象学会).89:276.
  • 筑波町史編纂専門委員会 編『筑波町史 下巻』つくば市長 倉田弘 発行、平成2年3月25日、697pp.

外部リンク

日本の皇室
先代
晃親王
山階宮
第2代:1898年2月17日 - 1908年5月2日
次代
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先代
守脩親王
梨本宮
第2代:1881年10月20日 - 1885年12月2日
次代
守正王