平英房

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
平英房
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 豊前守
幕府 室町幕府
主君 畠山義英→義堯→尚誠
氏族 平氏
子 誠佑
テンプレートを表示

平 英房(へい/たいら ひでふさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。義就流畠山氏(総州家)の奉行人(内衆)を務めた。

概要

英房の英の字は畠山義英の偏諱を受けたものであると考えられる。

享禄4年(1531年)7月17日には畠山義堯の奉行人として文書を発給している[1]。

義堯が死去した後は奉行人としての立場を終われ、同族と見られる平英正が畠山在氏の奉行人を務めている[2]。

後継者と見られる平誠佑は畠山尚誠の偏諱を受けており、畠山在氏と木沢長政の没落に伴い復権したと考えられる[3]。

脚注

注釈

    出典

    1. ↑ 馬部隆弘「畠山家における奉書の展開と木沢家の出自」『大阪大谷大学歴史文化研究』17号(大阪大谷大学、2017年)
    2. ↑ 馬部隆弘「畠山家における奉書の展開と木沢家の出自」『大阪大谷大学歴史文化研究』17号(大阪大谷大学、2017年)
    3. ↑ 馬部隆弘「畠山家における奉書の展開と木沢家の出自」『大阪大谷大学歴史文化研究』17号(大阪大谷大学、2017年)

    関連項目