廿日出厖

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廿日出 厖
はつかで ひろし
生年月日 1901年4月15日
出生地 日本の旗 日本 広島県呉市
没年月日 (1947-10-19) 1947年10月19日(46歳没)
出身校 東北帝国大学宗教哲学科卒業
所属政党 (諸派→)
(日本自由党→)
無所属
選挙区 静岡県全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年 - 1947年3月31日
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廿日出 厖(はつかで ひろし、1901年〈明治34年〉4月15日[1][2] - 1947年〈昭和22年〉10月19日[3])は、日本の教育者、政治家。浜松学院興誠高校の創立者。衆議院議員(1期)。

概要

広島県呉市豊町大長出身。ミカン農家の五男に生まれる。長崎高等商業学校を卒業し、1929年(昭和4年)3月に東北帝国大学宗教哲学科を卒業する[2][3]。

内務大臣望月圭介の秘書官を経て、遠江商業学校校長に就任する[4]。しかし、学校の経営責任者と対立し生徒らと共に学校を去り新たに普済寺で授業を開始する。

1933年(昭和8年)11月、文部大臣から財団法人・興誠商業学校の設立指定を受ける。

1946年(昭和21年)4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙に静岡県全県区から諸派で立候補し、初当選した[5][注釈 1]。同年4月17日、日本政府は、口語体で条文化した「憲法改正草案」[8]を公表し、枢密院に諮詢した。7月23日、芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会の小委員会の設置が決定され、芦田は廿日出を委員に選定した[9]。計14人で構成される小委員会は同月25日から8月20日にかけて13回にわたって開催され、各会派から提出された修正案の調整を行った[10]。小委員会が作成した共同修正案(日本国憲法案)は改正案委員会に報告され[11]、8月24日に衆議院本会議で修正可決された[12]。

1947年3月31日に衆議院が解散し、同時に第23回衆議院議員総選挙が公示された。静岡県全県区で当選した廿日出と長谷川保は旧静岡3区から立候補するも、4月8日に公職追放を受け、ともに立候補を断念した[13]。

同年10月19日、心労がたたり死去。46歳没。

廿日出厖の教育思想

  • 『誠』の精神 「誠を興し、誠に行動し、誠を普(あまね)くする」
  • 学園においては「日本再建のためには広く人類愛に燃える知、徳、体兼備の高潔なる国際的文化人の育成が必要」と中学、高等学校、大学と一貫した組織づくりをスタートさせ、今日の学園の基礎をつくりました。

脚注

注釈

  1. ↑ 当選後は日本自由党に所属した[6]。1947年(昭和22年)に無所属となった[7]。

出典

  1. ↑ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、16頁。
  2. 1 2 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇 696コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. 1 2 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑 286コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ↑ 『私学の創立者とその学風 : 日本私立中学高等学校連合会三十年史 351コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ↑ 『衆議院名鑑 : 第1回(1890年)-第34回(1976年)総選挙 524コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ↑ 『議会制度百年史 院内会派編 衆議院の部 267コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ↑ 『議会制度百年史 院内会派編 衆議院の部 278コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ↑ “日本国憲法の誕生 資料と解説 3-25 口語化憲法草案の発表”. 国立国会図書館 (2004年5月3日). 2026年9月29日閲覧。
  9. ↑ “第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員小委員会 第1号 昭和21年7月25日”. 帝国議会会議録検索システム. 2026年10月12日閲覧。
  10. ↑ “帝国憲法改正案審議 | 再建日本の出発-1947年5月 日本国憲法の施行-”. 国立公文書館. 2026年10月6日閲覧。
  11. ↑ “第90回帝国議会 衆議院 帝国憲法改正案委員会 第21号 昭和21年8月21日”. 帝国議会会議録検索システム. 2026年10月12日閲覧。
  12. ↑ “年表”. 誕生 日本国憲法. 国立公文書館. 2026年10月12日閲覧。
  13. ↑ “浜松市史 四”. 浜松市立中央図書館. 2026年10月6日閲覧。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

外部リンク