張廷珪

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張 廷珪(ちょう ていけい、658年 - 734年)は、唐代の官僚。本貫は河南府済源県[1][2]。

経歴

若くして文学で名を知られた。意気盛んな性格で、志が高かった。進士に及第し、白水県尉に任じられた。長安年間、監察御史に累進した。武則天が天下の僧尼から銭を徴収して、白司馬坂に大像を造営しようとした。廷珪は上疏してこれを諫めた。武則天はその言を聞き入れて、造営を中止した。景龍4年(710年)、廷珪は中書舎人となった。洪州都督に転じ、そのまま江南西道按察使をつとめた[3][4]。

開元初年、入朝して礼部侍郎となった。二度異動して黄門侍郎に転じた。まもなく禁中の語を漏らした罪で、沔州刺史として出された。蘇州刺史・宋州刺史・魏州刺史を歴任した。入朝して少府監となり、金紫光禄大夫の位を加えられ、范陽県男に封じられた。四度異動して太子詹事となり、老病のため致仕した。開元22年(734年)、死去した。享年は77。工部尚書の位を追贈された。諡は貞穆といった[5][6]。

脚注

  1. ↑ 旧唐書 1975, p. 3150.
  2. ↑ 新唐書 1975, p. 4261.
  3. ↑ 旧唐書 1975, pp. 3150–3152.
  4. ↑ 新唐書 1975, pp. 4261–4262.
  5. ↑ 旧唐書 1975, p. 3152-3154.
  6. ↑ 新唐書 1975, pp. 4262–4264.

伝記資料

  • 『旧唐書』巻101 列伝第51
  • 『新唐書』巻118 列伝第43
  • 唐故贈工部尚書張公墓誌銘并序(張庭珪墓誌)

参考文献

  • 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 
  • 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。