後藤敬一郎

ウィキペディアから、無料の百科事典
後藤 敬一郎
生誕 1918年10月17日
愛知県名古屋市
死没 2004年
愛知県名古屋市
著名な実績 写真
運動・動向 前衛写真、シュルレアリスム、主観主義写真
テンプレートを表示

後藤 敬一郎(ごとう けいいちろう、1918年10月17日 - 2004年)は、日本の写真家、実業家。愛知県名古屋市に生まれ、同地を拠点に活動した[1]。1930年代にシュルレアリスムの影響を受けた写真を制作し、戦後は写真家集団VIVI社や日本主観主義写真連盟に参加した[2][3]。

終戦後には名古屋市渉外課の嘱託カメラマンとして、占領期の名古屋を撮影した[4]。また、ういろうなどの和洋菓子を製造・販売する青柳総本家の四代目として戦後の事業再建に携わり、1950年代以降は同社の店舗内に展示スペースを設け、写真や美術の展覧会を開催した[5][6][7]:175–177。

生涯

戦前・戦中

1936年に愛知商業学校(現・愛知県立愛知商業高等学校)を卒業した。同年秋に宮崎を旅行し、現地で撮影した写真をアルバム『連続写真 宮崎海岸』にまとめた[7]:172。

翌1937年、名古屋の中村写真館で技師長を務めていた森田菊松から撮影と暗室技術を学び、名古屋の芸術写真団体愛友写真倶楽部の成田春陽から引き伸ばしの技術を学んだ[7]:172。その後、成田が関係していた写真雑誌『カメラマン』の編集に携わり、同誌に写真や撮影技法に関する文章を発表した[7]:172–173。

1930年代末には、人物、風景、建築物、オブジェなどの像を組み合わせたモンタージュや演出写真を制作した。この時期の作品には、《痕》《ある極》《最後の審判図》《帰らぬ舞台》《谷間の形態》《消滅する風景》などがある[2]。

1941年、名古屋で「ゴトウ写真技術の店」を開業した。戦時中は日本報道写真協会に所属し、内閣情報局が発行した『写真週報』の中部地区担当カメラマンを務めたほか、刊行されなかった報道写真集『禅』のために永平寺を撮影した[8]。

戦時中には、山本悍右らの写真グループ青憧社にも参加した。青憧社は撮影会や例会を行い、1941年から1942年にかけて会報『CARNET BLEU』を第5号まで刊行した[9]。同誌には写真に関する文章や作品、フィリップ・スーポーの文章の翻訳などが掲載された[9]。副田一穂は、創刊号に後藤の名が記載されていないことから、後藤は創刊後に同人となったとみている[7]:174。

占領期

1945年11月、名古屋市渉外課の嘱託カメラマンとなり、1948年2月まで勤務した[8]。占領軍の名古屋港への上陸、市内の復興事業、各種行事、占領軍兵士と市民の姿などを撮影した[4]。

この時期に撮影された写真は、後に「後藤敬一郎関係写真資料」として整理された。同資料をもとに、2020年に『占領期の名古屋:名古屋復興写真集』が刊行された[4]。2023年には阿部英樹による調査報告『占領初期の名古屋:「後藤敬一郎関係写真資料」調査報告』が刊行された[10]。

戦後の写真活動

1947年、高田皆義、山本悍右、服部義文とVIVI社を結成した[11][8]。VIVI社は1950年頃まで活動し、戦前の前衛写真に連なる実験的な作品を発表した[11][3]。

後藤は1950年の第10回美術文化協会展に作品3点を出品し、1952年には同協会写真部会による「造型写真作家展」に参加した[8]。

1956年、瀧口修造や山本悍右、阿部展也らが関わった日本主観主義写真連盟の結成に参加し、同年、東京・日本橋高島屋で開催された「第1回国際主観主義写真展」に出品した[12]。その後も主観主義写真の展覧会に出品し、1950年代から1960年代にかけて東京や名古屋で個展を開催した[8]。

飯沢耕太郎は、後藤を日本の主観主義写真における有力作家の一人と位置づけ、1950年代に抽象的なオブジェや風景を撮影した作品を発表していたと述べている[3]。

1974年には、二分冊の『後藤敬一郎写真集――写真1・2』を刊行した[8]。

青柳総本家と文化活動

1948年、青柳総本家の四代目として、名古屋市瑞穂区の自宅を工場に事業を再開した[6]。同じ頃、空襲で店舗や工場を失っていた後藤は、山本悍右を頼り、広小路通の山本五郎商店の一角を借りて青柳総本家の店舗を構えた[7]:175。1952年には広小路店内に展示スペースを設け、「造型写真作家展」をはじめ、写真、美術、工芸などの展覧会を開催した[7]:176–177。

1954年には、柳宗理の設計による茶房「青柳」を広小路店に開設した[6]。同店では、宮脇綾子のアップリケ展や、菓子の材料を用いた作品を展示する「お菓子による作品展」なども開かれた[7]:176–179。

1953年、彫刻家の野水信、画家の石黒二郎、書家の萩原冬珉らと美術団体「朱泉会」を結成した[7]:177–178。後藤が撮影した同会の展覧会や参加者の記録写真は、愛知県美術館に収蔵されている[13]。

作品

後藤の戦前作品には、複数のネガを用いたモンタージュや多重露光、人物とオブジェを配置した演出写真がみられる[2][12]。《最後の審判図》《帰らぬ舞台》《消滅する風景》などは、名古屋市美術館に収蔵されている[14]。

戦後の《メモランダム》(1947年)は、手の像を多重露光によって反復し、岩や土を思わせる背景と組み合わせたゼラチン・シルバー・プリントである[15]。同作は2025年にメトロポリタン美術館のコレクションに加わった[15]。

東京都写真美術館には、《白い記号-B》(1948年)や《冷淡なのぞき窓》(1957年)などが収蔵されている[16][17]。

評価・研究

1962年、瀧口修造は後藤について論じた「影像の賭け――後藤敬一郎の仕事について」を『カメラ芸術』に発表した。翌1963年には、高階秀爾が「幻想的なパターン」を『芸術生活』に発表した[7]:180。

1989年に名古屋市美術館で開催された「名古屋のフォト・アヴァンギャルド」で後藤の前衛写真が紹介された[2]。

2006年、黒沢義輝は、戦前の前衛写真を戦争によって終わった運動として捉える歴史観では、戦前と戦後の連続性が見えにくくなると指摘した。そのうえで、戦後の名古屋における前衛写真活動は山本悍右と後藤を中心に展開され、1947年のVIVI、1950年代の「窓」「炎」などへと続いたと述べている[18]。

2018年には、スタジオ35分で「主観主義写真における後藤敬一郎」展が開催され、戦前・戦後のヴィンテージ・プリントと、保存されていたネガから新たに制作されたプリントが展示された[19]。同展については飯沢が展評を発表した[3]。

2021年には名古屋市美術館の「『写真の都』物語――名古屋写真運動史:1911-1972」に作品が出品された[8]。2022年には東京都写真美術館の「アヴァンガルド勃興――近代日本の前衛写真」で、名古屋の前衛写真を扱う章に作品が展示された[20]。同年には、副田一穂による「写真家・後藤敬一郎の活動についての研究」が発表された[7]。

主な受賞

  • 1961年 - 第5回日本写真批評家協会作家賞[8]
  • 1963年 - 第16回中日文化賞[8]
  • 1974年 - 日本写真協会賞年度賞[8]
  • 1976年 - 全日本写真連盟功労賞[8]
  • 1978年 - メキシコ政府アステカ鷲勲章[8]

主な収蔵先

関連項目

脚注

  1. ↑ “後藤敬一郎”. アートプラットフォームジャパン. 文化庁. 2026年7月17日閲覧。
  2. 1 2 3 4 名古屋市美術館 編『名古屋のフォト・アヴァンギャルド:名古屋市美術館常設企画展』名古屋市美術館、1989年。
  3. 1 2 3 4 飯沢耕太郎 (2018年11月16日). “主観主義写真における後藤敬一郎”. artscape. 2026年7月17日閲覧。
  4. 1 2 3 阿部英樹 編『占領期の名古屋:名古屋復興写真集』風媒社、2020年。ISBN 978-4-8331-0193-6。
  5. ↑ “会社概要”. 青柳総本家. 青柳総本家. 2026年8月21日閲覧。
  6. 1 2 3 “青柳総本家の歴史”. 青柳総本家. 青柳総本家. 2026年8月21日閲覧。
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 副田一穂「写真家・後藤敬一郎の活動についての研究」『鹿島美術研究』年報第38号別冊、2022年9月、172–183頁、2026年8月21日閲覧。
  8. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 竹葉丈『「写真の都」物語:名古屋写真運動史 1911-1972』国書刊行会、2021年、57頁。ISBN 978-4-336-07198-9。
  9. 1 2 山本俶生、稲田威郎、田中晴子 編『写真展 シュルレアリスト山本悍右:不可能の伝達者』ジョン・ソルト、金子隆一監修、東京ステーションギャラリー、2001年、204–205頁。
  10. ↑ 阿部英樹『占領初期の名古屋:「後藤敬一郎関係写真資料」調査報告』 第31輯、勁草書房〈中京大学経済学研究叢書〉、2023年。ISBN 978-4-326-54981-8。
  11. 1 2 “VIVI社”. アートプラットフォームジャパン. 文化庁. 2026年7月17日閲覧。
  12. 1 2 東京都写真美術館 編『アヴァンガルド勃興:近代日本の前衛写真』国書刊行会、2022年、172–173頁。ISBN 978-4-336-07367-9。
  13. 1 2 “後藤敬一郎:作家データ&作品一覧”. 愛知県美術館 コレクション検索. 2026年7月17日閲覧。
  14. 1 2 “後藤敬一郎:作者データ&作品一覧”. 名古屋市美術館 収蔵品データベース. 2026年7月17日閲覧。
  15. 1 2 3 “Memorandum” (英語). The Metropolitan Museum of Art. 2026年7月17日閲覧。
  16. 1 2 “白い記号-B”. 東京都写真美術館 収蔵品検索. 2026年7月17日閲覧。
  17. 1 2 “冷淡なのぞき窓”. 東京都写真美術館 収蔵品検索. 2026年7月17日閲覧。
  18. ↑ 黒沢, 義輝「名古屋前衛写真の戦後」『REAR』第14号、2006年7月20日、24-25頁。
  19. ↑ “主観主義写真における後藤敬一郎”. スタジオ35分 (2018年). 2026年7月17日閲覧。
  20. ↑ “アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真”. 東京都写真美術館 (2022年). 2026年7月17日閲覧。

参考文献

  • 名古屋市美術館 編『名古屋のフォト・アヴァンギャルド:名古屋市美術館常設企画展』名古屋市美術館、1989年。 
  • 山本俶生、稲田威郎、田中晴子 編『写真展 シュルレアリスト山本悍右:不可能の伝達者』ジョン・ソルト、金子隆一監修、東京ステーションギャラリー、2001年。 
  • 阿部英樹 編『占領期の名古屋:名古屋復興写真集』風媒社、2020年。ISBN 978-4-8331-0193-6。 
  • 竹葉丈『「写真の都」物語:名古屋写真運動史 1911-1972』国書刊行会、2021年。ISBN 978-4-336-07198-9。 
  • 副田一穂「写真家・後藤敬一郎の活動についての研究」『鹿島美術研究』年報第38号別冊、2022年9月、172–183頁。 
  • 東京都写真美術館 編『アヴァンガルド勃興:近代日本の前衛写真』国書刊行会、2022年。ISBN 978-4-336-07367-9。 
  • 阿部英樹『占領初期の名古屋:「後藤敬一郎関係写真資料」調査報告』 第31輯、勁草書房〈中京大学経済学研究叢書〉、2023年。ISBN 978-4-326-54981-8。 

外部リンク