散弾製造塔

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散弾製造塔、タスマニア。(1870)
クリフトン・ヒルの散弾製造塔。メルボルン。
散弾製造塔。イングランドのブリストル。
メルボルン・セントラル・ショッピング・センター内のクープス散弾製造塔。
アイオワのダビュークにある散弾製造塔。

散弾製造塔(さんだんせいぞうとう)とは、溶けた鉛を落として散弾銃の弾薬に使う鉛の粒(散弾)を製造するための塔である。散弾は水を張った容器で受け止められる。

散弾の製造

技法

散弾製造塔の内部では、鉛が溶けた状態まで加熱されており、こののち製造塔上部の銅製のふるいを介して落下させられる。液状の鉛は表面張力によって小さな球状の粒へと変形し、さらに落ちて固体化する。部分的に冷却された球体は、製造塔内の床に設けられた、水を張った容器によって受け止められる[1]。完全に冷却された球体は丸みを測った後にサイズによって振り分けられる。これらのうち、丸くない品は再び溶かされる。丸みを測るには、わずかに傾斜した台が用いられる[2]。大きな寸度の散弾を作るには、より大きな穴の開いた銅製のふるいが用いられる。ただし最大径は塔の高さによって制限されるが、これはより大きなサイズの散弾を冷却するために、もっと長い距離を落とさねばならないためである。ごく少量のグラファイトによる研磨は、潤滑と酸化防止のために必須である。

歴史

製造法はイギリスのブリストルにおいてウィリアム・ワッツが開発し、1782年に特許となった[1][3]。同年、ワッツはブリストルのレッドクリフにある自宅を、最初の散弾製造塔に造り替えるよう試みた[4]。散弾製造塔は、散弾を型で鋳造するというコストのかかる初期の製造法や、溶けた鉛を水を詰めたタルの内部に滴らせるという、精度の悪い球体しか作れない技術を置き換えるものだった。散弾製造塔では大きな径の散弾が製造できず、これは切断した鉛の薄片を丸くなるまでタルの中で転がすことで製造された[5]。

「ウィンド・タワー」の技法は1848年に特許となった。出願者はニューヨーク市のT.O・リロイ・カンパニーであり、冷却された空気を吹きつけることで必要な落下距離を劇的に短縮した[6][7]。これは背の高い塔が必須ではなくなったことを意味したが、1880年代後半まで多数の製造塔が未だに建造されていた。2例の日時では1916年及び1969年まで稼働している。1960年代、ブリーマイスター法がより小さなサイズの散弾を作るために用いられ、またより大サイズのものは、ある一定の長さに調整されたワイヤーを半球状の型に入れ、これを圧縮して球状にするという冷間鍛造で製造されるようになった[8]。

塔の例

鋼材の枠で囲まれたコロニアル・アムニッション・カンパニーの製造塔。ニュージーランドのオークランド。
Name Location Country Year Notes
シュロートクーゲルトゥルムベルリン、ルンメルスブルクドイツ1908年ネルトナーシュトラーセ15および16。1939年まで稼働
ブリュッセル散弾製造塔ブリュッセルベルギー ?
チーズ・レーン散弾製造塔イングランド、ブリストルイギリス1969年鉄筋コンクリート塔。ウィリアム・ワッツによって建造された非常に初期の散弾製造塔を代替するために建てられたもの[9]
チェスター散弾製造塔イングランド、ボートンイギリス1799レンガ製の円塔。イギリスに現存する最古の散弾製造塔[10]。
クリフトンヒル散弾製造塔メルボルン、ビクトリアオーストラリア1882年高さ49m、レンガ製の建造物[11]
コロニアル・アムニッション・カンパニーオークランド、マウントエデンニュージーランド1916年鋼材で枠の組まれた塔[12]
クープス散弾製造塔メルボルン、ビクトリアオーストラリア1888年
ダウガフピルス散弾工場塔ダウガフピルスラトビア ?稼働中[13][14]
ドロホターゼン散弾製造塔ニーダーザクセン州、ドロホターゼンドイツ ?
ダビューク散弾製造塔アイオワ州、ダビュークアメリカ合衆国1856年
フォート・ヘイズ散弾製造塔オハイオ州、コロンバスアメリカ合衆国1864年フォート・ヘイズ都市教育センターで使用
ヘレナ散弾製造塔ウィスコンシン州、スプリンググリーンアメリカ合衆国1831年州公園の一部として保管[15]
ジャクソン・フェリー散弾製造塔バージニア州、ワイス郡アメリカ合衆国1790年代州公園の一部として管理され、ツーリストシーズンには一般公開されている[16]
ランベス散弾製造塔イングランド、ロンドンイギリス1826年1949年まで稼働。解体前には1951年の英国博覧会の呼び物となった。
マックラフ塔ニューヨーク、ロウアー・マンハッタンアメリカ合衆国1855-6年石造ではなく鋼製の枠で建造された最初の散弾製造塔。ジェームズ・ボガーダスによって建造され、高さは53m。1907年解体[17]
ピータース散弾製造塔オハイオ州、キングスミルズアメリカ合衆国1895年
フェニックス散弾製造塔メリーランド、バルチモアアメリカ合衆国1828年
レッドクリフ散弾製造塔イングランド、ブリストルイギリス1782年塔による散弾製造法を開発したウィリアム・ワッツが建築した最初の散弾製造塔。1968年解体[9]
散弾製造塔ベルリン、リヒテンベルクドイツ1908年
スパークス散弾製造塔ペンシルバニア、フィラデルフィアアメリカ合衆国1808年
ステルコ散弾製造塔ケベック、モントリアルカナダ ?[18]
タルーナ散弾製造塔タスマニア、ホバートオーストラリア1870年

関連項目

  • 噴霧乾燥。液体を粉体へ変える工程。多くの噴霧乾燥では、塔の内部を降下させることで液体の粒を固体化している。

関連書籍

参考文献

  1. 1 2 “No. 422: Shot Tower”, Engines, UH.
  2. ↑ Re: How the small lead shot (7–8 sizes) used for shotgun shells are made?, Mad sci, (May 2001).
  3. ↑ Minchinton, Walter (1993). “The Shot Tower” (PDF). The Shot Peener 7 (3): 22.
  4. ↑ “Sheldon Bush and Patent Shot Company Limited, Cheese Lane, Bristol”, Images of England.
  5. ↑ “150th”, The Age (Melbourne, AU), オリジナルの2006年2月12日時点におけるアーカイブ。.
  6. ↑ “アーカイブされたコピー”. 2012年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月12日閲覧。, Lynne Belluscio, LeRoy Penny Saver News
  7. ↑ History of the American Shot Tower アーカイブ 2005年8月11日 - ウェイバックマシン
  8. ↑ “The romance of lead shot - Shotgunner – Guns Magazine – Find Articles at BNET.com”
  9. 1 2 Efstathios, Tsolis (2007年3月10日). “An Awkward thing”. University of Bristol. 2015年3月19日閲覧。
  10. ↑ “Chester Leadworks and Shot Tower”, Images of England.
  11. ↑ Heritage, Victoria, AU.
  12. ↑ “Colonial Ammunition Company Shot Tower”. Heritage New Zealand. 11 April 2016閲覧。
  13. ↑ DSR, LV.
  14. ↑ “Daugavpils Lead Shot Factory”. Official Latvian Tourism Portal. Latvian Tourism Development Agency (12 June 2013). 12 September 2013閲覧。
  15. ↑ Tower Hill State Park Shot Tower, WI, US.
  16. ↑ Shot Tower Historical State Park, VA, US
  17. ↑ Gayle, Margot; Gayle, Carol (1998). Cast-iron Architecture in America: The Significance of James Bogardus. W. W. Norton & Company. pp. 169–174. ISBN 0393730158
  18. ↑ http://www.waymarking.com/waymarks/WMDXNA_Montreal_Shot_Tower_Montreal_Qc_Canada

外部リンク