新治廃寺跡
新治廃寺跡(にいはりはいじあと)は、茨城県筑西市久地楽・古郡に所在する、奈良時代の寺院跡(廃寺)である。古代の常陸国新治郡に建立された寺院と考えられ、新治郡衙跡の北方約200 - 300メートルに位置する。金堂の東西に塔を配置する特徴的な伽藍配置で知られ、出土した瓦類とともに、古代の東国における仏教文化の展開を知る上で重要な遺跡である[1]。
寺院跡は1942年(昭和17年)7月21日に国の史跡に指定され、1977年(昭和52年)2月3日には、寺院で使用された瓦を焼成した窯と考えられる上野原瓦窯跡が追加指定された。史跡の名称は「新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡」である[2]。
概要
新治廃寺跡は、小貝川左岸の台地西縁に位置する。古くから複数の土壇跡と多量の古瓦の出土が知られていた。1921年(大正10年)には、黒板勝美・柴田常恵が当地を訪れ、遺跡の重要性を指摘した[3]。
1939年(昭和14年)から発掘調査が行われ、寺院の主要建物の配置や基壇、礎石などの遺構が確認された。出土遺物には多種の瓦が含まれ、文字を記した瓦も確認されている[1]。
遺構
伽藍配置
発掘調査により、中央の金堂の東西に塔を配置し、さらに金堂の北側に講堂を置く伽藍配置が明らかになった。東塔・金堂・西塔がほぼ一直線上に並ぶ点が特徴である。中門から延びる回廊は講堂の後方で結ばれていたとされる[1]。
金堂跡・塔跡・講堂跡
現在も金堂跡、東塔跡、西塔跡、講堂跡などの基壇が残されている。金堂跡では、柱座を造り出した礎石が確認されている。また、東塔跡の基壇上には塔の中心柱を支えた塔心礎が残存する[1]。
出土遺物
出土した瓦類は種類が豊富で、その系統は下野薬師寺系に属するとされる。また、結城廃寺跡との強い関係も指摘されている。文字瓦を含むこれらの出土遺物は、寺院の造営や古代の地域社会を考える上で重要な資料である[1]。
上野原瓦窯跡
上野原瓦窯跡は、寺院跡の東方に位置する茨城県桜川市上野原地新田の山林内に所在する瓦窯跡である。新治廃寺跡から出土した瓦と類似する瓦が確認されていることなどから、新治廃寺で使用された瓦を焼成した窯と考えられている[1]。
確認された窯は大型の平窯式で、窯底などの遺構が残る。寺院跡と瓦窯跡が一体的に保存されている点も、本史跡の重要な特徴である[1]。
文化財指定
新治廃寺跡は、1942年(昭和17年)7月21日に国の史跡に指定された。1977年(昭和52年)2月3日には上野原瓦窯跡が附指定され、指定名称は「新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡」となっている[2]。
指定地は筑西市と桜川市にまたがり、指定面積は約37,958平方メートルである[1]。
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “新治廃寺跡附上野原瓦窯跡”. 茨城県教育委員会. 2026年10月20日閲覧。
- 1 2 “新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡”. 文化庁. 2026年10月20日閲覧。
- ↑ “史跡新治廃寺跡附上野原瓦窯跡保存活用計画”. 筑西市教育委員会 (2021年3月). 2026年10月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 新治廃寺跡(附上野原瓦窯跡) - 筑西市
- 新治廃寺跡附上野原瓦窯跡 - 茨城県教育委員会
- 新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 史跡新治廃寺跡附上野原瓦窯跡保存活用計画 - 筑西市教育委員会、2021年
座標: 北緯36度20分41秒 東経140度02分33秒 / 北緯36.34472932度 東経140.04248308度