朝倉千筆
あさくら ちふで 朝倉 千筆 | |
|---|---|
| 生誕 |
1936年1月27日(90歳) 東京府 |
| 別名 | 朝倉 和泉 |
| 出身校 | 津田塾大学学芸学部英文学科 |
| 職業 | 脚本家、日本語教師、著述家 |
| 活動期間 | 1974年 - |
| 代表作 |
テレビアニメ 『とんがり帽子のメモル』 『メイプルタウン物語』 アニメ映画 『チョッちゃん物語』 著書 『還らぬ息子 泉へ』(朝倉和泉名義) |
| 配偶者 | 中川信(離婚) |
| 子供 | 2人 |
| 親 | 朝倉季雄(父) |
朝倉 千筆(あさくら ちふで[1]、1936年1月27日 - )は東京府出身の脚本家。別名、朝倉和泉。父は仏文学者の朝倉季雄。
経歴・人物
仏文学者朝倉季雄の長女。桐朋女子高等学校を経て、1959年、津田塾大学学芸学部英文学科卒業。25歳の時、父の門人の中川信(1930‐1991、仏文学者。東京大学文学部仏文科卒、お茶の水女子大学教授。法政大学参事・中川秀秋の子)と結婚。32歳で二児の母となる。1972年にシナリオの勉強を始めて、1974年に『太陽にほえろ!』第109話「俺の血をとれ!」で脚本家デビュー(小川英との共作)。主にテレビドラマに力を入れる。『魔法使いサリー』などの脚本を担当[2]。
1977年10月、中川と離婚。二人の子供を育てながら放送作家として活躍していたが、1979年1月14日、長男が千筆の母を殺害して投身自殺(祖母殺し高校生自殺事件)。この体験に基づき、朝倉和泉名義で『還らぬ息子 泉へ』(中央公論社、1980年)『死にたいあなたへ』(中央公論社、1981年)を上梓。長男の死後はドラマを諦め、アニメのシナリオライターに転じる。
1980年代には『スプーンおばさん』『とんがり帽子のメモル』『オヨネコぶーにゃん』『ガラスの仮面』『おねがい!サミアどん』[3]『メイプルタウン物語』『新メイプルタウン物語 パームタウン編』などの脚本を手がけていたが、1986年に日本語教師を兼ねるようになる。1991年、単身アメリカ合衆国ジョージア州コロンバスに渡り、コロンバス・ステート・コミュニティ・カレッジにて9ヶ月間カレッジインターンシップとして日本語を教える。1992年に日本へ帰国。この体験に基づき、『マイ・チャレンジ──女ひとり、アメリカへの旅立ち』(中央公論社、1994年)を刊行した。
著書
朝倉千筆名義
- ネスビット 作、朝倉千筆 文、亜細亜堂 絵『おねがい!サミアどん』学習研究社、1986年1月。ISBN 4-05-101749-4。NDLJP:13802595。
- 朝倉千筆『マイ・チャレンジ: 女ひとり、アメリカへの旅立ち』中央公論社、1994年1月。ISBN 4-12-002279-X。NDLJP:13250535。
朝倉和泉名義
いずれも祖母殺し高校生自殺事件を起こした長男を題材とした著作。
主な作品
テレビドラマ
テレビアニメ
- 『おはよう!スパンク』
- 『スプーンおばさん』
- 『とんがり帽子のメモル』[5]
- 『オヨネコぶーにゃん』[6]
- 『ガラスの仮面』[7]
- 『おねがい!サミアどん』[3]
- 『メイプルタウン物語』
- 『新メイプルタウン物語 パームタウン編』
- 『おにいさまへ…』
劇場アニメ
脚注
出典
- ↑ 朝倉, 千筆 - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ↑ 「魔法使いサリー」の詳細 | 脚本と脚本家のデータベース
- 1 2 “おねがい!サミアどん | 1980年代 | TMS作品一覧”. アニメーションの総合プロデュース会社 トムス・エンタテインメント. 2024年2月27日閲覧。
- ↑ 「太陽にほえろ!」の詳細 | 脚本と脚本家のデータベース
- ↑ スタッフ - とんがり帽子のメモル - 作品ラインナップ - 東映アニメーション
- ↑ 「オヨネコ、ぶーにゃん」の詳細 | 脚本と脚本家のデータベース
- ↑ 「ガラスの仮面」の詳細 | 脚本と脚本家のデータベース
- 1 2 フィルムでみよう!東映アニメーション-26 – 国立映画アーカイブ
- ↑ 【作品データベース】KAZU&YASU ヒーロー誕生 (松竹)
- ↑ 戦争のおはなしにふれてみませんか
参考文献
- 朝倉千筆『マイ・チャレンジ──女ひとり、アメリカへの旅立ち』(中央公論社、1994年)