朝日山古戦場
概要
小千谷市街の北東4キロほどの所にある朝日山山頂にある古戦場で、山頂へは浦柄地区から徒歩で約40分。現在山頂には野営場などの遺構、北越戦争関連の展示品がある。国道291号から朝日山への入口近くにある浦柄神社には、1953年(昭和28年)に小栗山村の人々が建立した北越戦争の東軍(越後長岡藩・会津藩)の戦死者の墓が21基ある。その中の白虎隊士新国英之助(当時16歳)の墓は、父が二十数年遺体を探して建立したもの。また、西軍側として唯一時山直八の墓が1基、東軍側に混じって建立されている。
朝日山の戦い
慶応4年5月10日、朝日山近くの榎木峠で戦が始まり、12日には妙見村・浦柄村は長岡藩に占領された。そこで、新政府軍は朝日山に攻撃をかけた。この攻撃には、山県有朋、時山直八が指揮をとった。13日、深い霧の中を新政府軍は攻めてきたが、東軍は加勢して応戦し、時山直八を討ち、東軍が有利になった。その後、東軍は5千、新政府軍は1万の兵を集めたといわれ、13日から1週間、雨の中戦いが続いた。その際、山県有朋は「あだ守るとりでのかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風」と歌を詠んでいる。その後、新政府軍は1隊はそのまま戦い、もう1隊を長岡城へ向かわせた。19日、長岡城が落城すると、東軍、新政府軍は蒲原へ向かった。
戦跡の調査
2022年(令和4年)、テレビ番組で行われた調査を契機に、古戦場の調査が本格化。陣地や塹壕跡などが確認されている[1]。
アクセス
脚注
- ↑ “北越戊辰戦争の激戦地、全国でも珍しい塹壕や陣の跡…新潟・小千谷で住民も加わり調査”. 読売新聞 (2025年1月27日). 2025年1月28日閲覧。