本多正綱

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本多正綱
本多三弥左衛門家・家紋
時代 江戸時代 初期
生誕 寛永元年(1624年)
死没 天和2年1月5日(1682年2月12日)
別名 別名:正恒
別称:平右衛門、半之丞、法名:常心
墓所 泉岳寺
幕府 江戸幕府 小姓、徒頭、御先鉄砲頭
氏族 本多三弥左衛門家
父母 父:本多正貫
母:本多正澄の娘
兄弟 正直、正綱
妻 舟橋秀相の娘
子 正種、佐久間正満
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本多 正綱(ほんだ まさつな)は江戸時代の旗本。

略歴

元和8年(1622年)大身旗本・本多正貫の次男として生まれた。寛永11年(1634年)に3代将軍徳川家光に初めて謁見を果たし、寛永18年(1641年)世嗣徳川家綱に附けられ小姓となる。慶安3年(1650年)徒頭となり500俵持ちとなり、翌年には布衣の着用を許され、300俵を加増された。延宝4年(1676年)御先鉄砲頭となり延宝7年(1679年)に職を辞した。天和2年(1682年)、59歳で死去[1]。

系譜

脚注

  1. ↑ “寛政重脩諸家譜 第4輯”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月2日閲覧。