東西庵南北

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東西庵 南北(とうざいあん なんぼく、生年不明 ‐ 文政10年〈1827年〉7月)とは、江戸時代の戯作者、彫師。

来歴

姓は朝倉、名は藤八(一説には力蔵)。彫師で戯作を手掛け、東西庵南北、葛飾偶人、六極園、梅山人南北、阡陌園、吾妻楼手前と称す。吾妻橋手前竹町に住み後に芝金杉町に移る。『江戸方角分』によれば文化14年から翌年頃、大和町に住むという。文化から没年まで、喜多川歌麿の影響を受けた美人画や読本の挿絵も残しているが、専ら戯作を手掛けた。また狂歌もたしなみ、五側判者となっている。六十余歳で没す。

著作他

参考文献

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※125頁
  • 市古貞次ほか編 『国書人名辞典』(第三巻) 岩波書店、1996年 ※366頁