東風平親方安度(こちんだうぇーかたあんど、? - 1839年10月21日[1])は、琉球王国の官僚。唐名は毛惟新(もう いしん)を名乗った。別名に、沢岻親方安度(たくしうぇーかたあんど)がある。
尚育王は即位に際し、1832年江戸に謝恩使を派遣した。この際東風平は副使に任命され、正使の豊見城王子朝春と共に江戸に派遣された。しかしながら、正使の豊見城が鹿児島で急死したため、讃議官として江戸上りに同行していた普天間朝典(兼城朝典としても知られる)を替え玉として正使の豊見城に仕立てて、江戸に向かった。一行は翌年に帰沖した。
| 丑日番 | |
|---|---|
| 巳日番 | |
| 酉日番 | |
| その他 | |
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 宜野湾朝昆 |
三司官 1836 - 1839 |
次代 小禄良恭 |
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