橘則隆

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橘 則隆(たちばな の のりたか)は、平安時代中期の貴族。大納言・橘好古の孫。中宮亮・橘敏政の子。官位は正四位下・但馬守。

経歴

長保元年(999年)一条天皇の六位蔵人に補せられ、長保3年(1001年)従五位下に叙せられる。美作介を経て、寛弘5年(1008年)敦成親王の家司になり、寛弘8年(1011年)敦成親王が立坊すると、則隆は春宮大進に任ぜられた。

その後は、美作守・但馬守と三条朝から後一条朝にかけて受領を歴任する一方、寛仁2年(1018年)藤原威子が後一条天皇の中宮に立てられると、則隆は中宮亮に任ぜられている。また、位階は正四位下に至った。

寛仁4年(1020年)末までは但馬守に在任した記録が残っているが、在任中に没したらしく、治安3年(1023年)になって則隆が但馬守として待賢門の造営を行うべきところ、門の瓦が葺き終わらない間に没してしまったことが問題となっている。

官歴

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:橘敏政
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:橘成任

脚注

  1. 1 2 3 『蔵人補任』
  2. 1 2 『権記』
  3. ↑ 『御産部類記』所収「不知記」
  4. ↑ 『朝野群載』26
  5. 1 2 3 4 5 6 『小右記』
  6. ↑ 『左経記』

参考文献